コミュニティ系GPSサービス・食べログのレビューにムラがあること、具体的には蕎麦は当たるのにラーメンは案外当たらないこと、そしてこれが情報社会の必然的結果であることについて考えている。さらに、この文脈の延長として、この現象が社会病理としてクレイマーやモンスターペアレント、そして放射能オタクを生んでいることについて考えている。今回は最終回。最後の放射能オタクについてここまで提示してきた情報圧とミーイズムの観点から分析してみよう。

311がもたらした放射能アレルギー

東北大震災以降、あっという間に日本人は放射能について敏感になった。○○ベクレル、○○シーベルトと言った、それまでは聞いたこともないような放射能の測定数値をチェックするようになったのだ。また311直後には、放射能に関する事柄で過敏になっている人間が現れた。「東京はもうアブナイ」と言って脱出してしまった人間が出てくる始末。でも、僕は、こういう一過性のパニックに陥った人は、まあしょうがないと思っている。

だが、311から半年以上を経過して、未だに放射能のことについて神経質になっている人間が存在するのを見ると「ちょっと、大丈夫?」と思えてもしまう。とにかく放射能の数値が気になって仕方がない。ちょっとでも危険性があると思い始めたら過敏に反応する。だから福島産や茨城産の野菜は全然売れないなんてことが起きている(困った揉んだ。ちゃんと測定しているのに。安売りになっているので僕にはうれしいけれど……)。で、僕は執拗に放射能を気にする人間たちを「放射能オタク」と呼ぶことにしている。

で、その典型みたいな人間の話をNHKのローカルテレビの報道番組でのレポートの中で見た。

成田に住む家族。震災後、放射能のことが気になって仕方がない。もちろん成田の放射線量は以前に比べれば多いが、政府が規定する数値よりははるかに下だ。しかし、とにかく気になり続け、挙げ句の果ては成田を去って沖縄に引っ越すことにしたのだ。

そのきっかけは、娘を検査したときに娘の体内から放射能が検出されたことだった。もちろん、これもまた政府が指定する規定値よりははるかに低いのだが、とにかく「子どもから放射能が検出された」という事実が耐えられなかったのだ。妻は、自分が周辺から「気にしすぎる、過敏だ、ちょっとおかしんじゃない?」と指摘されることでだんだん気が滅入っていったことも成田を脱出する理由の一つになったという。

そして仕事のある夫1人を残して子ども二人と沖縄へ移住。すると、そこには同様の理由で転居していた人間たちがいた。そこで安堵の日々を過ごしている。いずれ夫も沖縄で仕事を見つけたら移住する予定だという。

本レポートは妻の次のコメントで閉じている。

「私みたいに放射能のことを気にする人間は少ないかも知れないけれど、こういった少数者の意見、そして選択の自由を認めてもらってもいいんじゃないんでしょうか」

そして、レポートした記者も同様の発言をしていた。

個人の自由のためなら国家も信用しない

これは情報圧の低さとミーイズムがもたらす典型的な行動だろう。
この家族は、まず世間の代表とでも言うべき国家を全く信用していない。つまり政府の規定値を全く基準として相手にしていない。信用しないのは、政府もまた情報圧が低くなり相対化されてしまっているからだ。つまり「政府の言う放射能の数値は一つの意見。まったくあてにならない」、これである。

自分の基準で情報を集めれば、放射能はどんなに少なくても危険なものと結論づけられれてしまう

だから、自分の身を守るためには、自ら情報を収集するしかない。そこで、自分の欲望に基づいて情報を収集しはじめる。必然的に、それは「放射能はどんなに低かろうがアブナイ」というネガティブな情報をどんどんあつめていく、つまりネガティブ・フィードバックを徹底的に行うことになるわけで、結果として「全ての放射能は、その存在だけでもアブナイ」という結論に達する(おそらく、この家族はもう二度とレントゲンを撮らないのではなかろうか)。

だから移住という決断は、彼らの価値観の中では理路整然とした「当然のこと」と位置づけられるようになっていく。ただし、それは一般の人間からしたら異常。だから「ちょっとおかしいんじゃない?」といわれるようになる。で、これに耐えられない。だからさらに、こういった「誹謗中傷」から逃れるためにも、移住はベストの解決策となっていく。そして、実際に移住した先には、同様の価値観を抱き、また迫害されてきた人間がいて、自らの価値観が正当化され、絶対化されていく。そう、これは今回の特集で取り上げた白血病になった先輩がネットを見てネガティブ・フィードバックが働いてしまったメカニズム、そして食べログラーメンレビューワー、クレーマー、モンスターペアレントと全く同じ心的メカニズムなのだ。

権利の主張と義務の放棄

しかし、こういった現象はまずいだろう。はっきり言ってこれは社会病理とみなさねばならない。移住するのは個人の自由だが、誰もがこんなかたちになってしまったら、社会が体をなさなくなってしまうからだ。そのくせ社会からの恩恵だけは人権尊重・平等の理念に基づいて頑強に求めてくる。つまり権利を要求する半面義務を果たすことをしない。

社会の一員であるならば、現在の社会が基準として置いているものを信用するという覚悟が必要だろう。それは言い換えれば権利を主張したければ義務を果たさなければならないと言うことだ。

そしてこれを敷衍すれば、この家族が沖縄に移住するのは個人の自由だが、それを風変わりとか、気にしすぎるとか指摘されることはやむなしとすべきなのだ。この家族は社会の一員であることを、個人の人権尊重の権利を逆手にとって拒否しているのだから。そう、社会からすれば「気にしすぎ、風変わり」と捉えるのが健全なのだ。

公共性の復権を

そしてこのことは、やはり今回取り上げた食べログラーメンレビューワー、クレーマー、モンスターペアレント、そして放射能オタク全てに該当する。僕らは社会が健全に機能するために、今、こういった個別の価値観を絶対化し他者を排除する迷惑な行為を「ダメ」と非難するような共通感覚=common senseを作り上げる(復活させる)ことが必要な時に来ていると僕は考える。それは月並みな表現になるけれど「公共性」という言葉で括ることのできるものだ。

情報に振り回されては、いけない。