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AmazonのiPhone用アプリ。右の下から二番目のもの



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開いたところ。ものすごくシンプルな構成だ。つい”ポチッ”と買ってしまう?


パソコン=インターネットという図式を捨てよう!

前回Web2.0の誤りがインターネットをパソコンを軸として考えたこと、それによってパソコンにあまりアクセスしないマジョリティに対する配慮を欠いていること、さらに「ユーザーの情報発信のインフラが整うこと」と「ユーザーの情報発信能力の向上」を混同=同一視するという誤りを犯している(本来この二つは直接的な関連はない。インフラが整ったとしてもそれが必ずしも発進力に繋がるというわけではない)という点に求められることを指摘しておいた。

だがインターネットはパソコンに限られるわけではない。そこでパソコン≠インターネットという具合にパソコンとインターネットを切り離し、また情報発信についての議論を一旦ペンディングして考え直してみることにしよう。そうするとインターネットの議論の焦点として浮かび上がってくるのが、実はスマホというメディアなのだ。

スマホはパソコンよりはるかにネットへのアクセスが簡単

さて前回取り上げておいたようなパソコンへの苦手な大多数(そしてここに僕の教えている学生たちも含まれるのだけれど)がスマホを所有するようになったらどうなるだろうか。

その答えの一つが、今回の特集の冒頭のエピソードにあげたように、スマホの正体が「インターネット・ツール」であることに気付いた彼らが、スマホを使って日がなインターネットにアクセスするようになると言うことだ。そして、それは結果としてテレビの視聴時間よりネットへのアクセス時間の方が長いという事態を結果する。現在、携帯電話の新規購入者におけるスマホ比率は五割。おそらく、この割合はどんどんと増加し、やがて一般のケータイ(ガラケー)はピッチやポケベルの立場に置かれてしまうだろう。それは、言い換えれば、近いうちにこれまでネットにあまりアクセスしなかった大多数の層がネットへ頻繁にアクセスするようになることを意味する。

スマホが導くネット中心のメディア生活

そうすると、当然のことながら日本人のテレビVSネットのアクセス頻度はテレビ<ネットということになる。そう、最終的にインターネットをわれわれに定着させることになるのはスマホなのだ。スマホはネットをブラウズすることについてはパソコンよりはるかに簡単だ。すぐに立ち上がるし、だいいち、どこにでも持って行ける。見たいときにポケットから取り出してブラウズすればよいのだから。だがパソコンだとこうはいかない。取り扱いも煩雑だ。だから、みんなこちらでネットをチェックするようになる。

そして、こうやってネットへのアクセスがあたりまえという情報行動が涵養されてしまうと、今度はこれをもっと使ってやろうという意識が、彼らにもむっくりともたげてくる(おそらく、これは仲間内で誰かが新しい機能を発見し、口コミでその便利さが伝わると、使いたくなるというプッシュ型のコミュニケーションがこういった意識を喚起するだろう)。また、もっと使わせようという送り手側の意識も芽生えてくる。そして、それは結果としてアプリをダウンロードしてゲームや情報検索アプリ、辞書アプリ、ユーティリティを使用したり、ビデオ/テレビ視聴をしたり……こんなことを人々がはじめることを結果する(さらに送り手側もよりシンプルなインターフェイスをに基づいたアプリやサービスシステムを作り始める)。スマホユーザーはその操作が実に簡単なことに気付くはずだ。もっとも、これはこれまでにネットでも十分にやれたものではある。だが、パソコンという“扱いづらい”メディアツールを使用することが条件となっていたため、彼らにとってはこれまで縁遠いものだった。それが突然身近なものに感じられるようになるわけだ。

つまり、僕みたいなさんざんパソコンを使いまくっていたような連中がやっていたような作業を彼らも、ごく普通にやり始めるようになる。ネットを使っての商品購入、ネットバンキング、コミュニケーションといったたぐいの作業がそれだ。たとえば、本をAmazonで買うとかという場合、もうパソコンは入らなくなる。実際Amazonはこういったいことを十分考慮に入れており、スマホ用のAmazonアプリを配布している。僕もこれを使っているが、あまりに簡単に購入出来てしまうので、つい、あんまり必要でないものまで、おもわず「ポチ」っとやってしまうほど。こうなると一般の人間にもAmazonはものすごく身近なものに変貌するわけで、おそらくこれまで一割程度だった僕の学生のAmazon利用層も飛躍的にアップするだろう。

こうやって、僕がパソコンでやっているようなネット生活を、スマホの所有者たちがなんの苦も無くやり始めるのだ。

Web3.0は「受信能力の拡張」

こうやって考えてみるとWeb3.0はどのように考えるべきか、そしてWeb2.0がどのように間違っていたかがハッキリする。2.0でオライリーたちが積極的に指摘したのが「発信能力の拡張」だった。しかし、これはすでにここまで指摘してきたように誤りであることがハッキリした。一方、3.0ではこの視点を逆の立ち位置をとることになる。それは「受信能力の拡張」だ。つまり、新しいメディアを用いての発信能力が拡張する前に、まず人々はそれらに馴染んでいく、使用出来るようにならなければならない。そのためには受信用のインターフェイスを徹底的にシンプルにし、誰でも気軽に扱うことが出来るようにインターフェイスを作り上げる必要がある。その役割の中心を担うのがスマホなのだ。つまり、スマホの普及こそが本格的なインターネット時代の幕開け=Web3.0に他ならない。そして、これらが熟成することによって、結果として発信能力の拡張も起こるだろう。ただし、じっくりと時間をかけて。しかし、その時、発信能力はWeb2.0が想定したものとは異なるものに違いない。では、それはなんだろう?また、他のメディアの運命(とりわけテレビやパソコン)はどうなるのだろう?(続く)