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野村総合研究所が提示していたWeb2.0の鳥瞰図。今見ると、かなり寒い(^_^;)


Web3.0を立ち上げる!

僕の教える学生たちのメディア接触時間がテレビ<インターネットになったことを踏まえ、スマホの普及がインターネット・ライフの本格的幕開けであるという前提を立て議論を進めている。
さて、インターネットの普及についてはこれまでWeb2.0という議論が行われてきた。今回はこれをちょっとおさらいするとともに、この議論がいかに的外れであったかと言うことを学生たちの「テレビ<インターネット」という図式を踏まえながら考えてみたい。そして、これを修正するものとして”Web3.0”という考え方を提唱してみたい。

Web2.0とは

で、まずは俎上に載せられるWeb2.0について確認しておこう。Wikipediaでは次のように定義されている。

「ティム・オライリーによって提唱された概念。狭義には、旧来は情報の送り手と受け手が固定され送り手から受け手への一方的な流れであった状態が、送り手と受け手が流動化し誰もがウェブを通して情報を発信できるように変化したwebの利用状態のこと。」

要するに受け手の能動性が高まり、発信することが可能になったということになるのだけれど。これをもう少し具体的に解説すると次のようになる。

Web1.0

インターネットの幕開けは米国防総省が運営していたARPANETが一般に開放され、これを一般が利用出来るようティム・バーナーズリーがWorld Wide Web(WWW)というブラウザ(エクスプローラーのようなネット閲覧ソフト)を作成したことに端を発する。そしてわが国でネットが普及するきっかけになったのはインターネット元年と呼ばれる95年。より操作が容易なブラウザであるNetScape(WWWの改良版)の普及、そしてモデム回線のスピードアップがきっかけだった。これによって一般の人間でもネットを閲覧することが可能になる。

ただし、発信となるとなかなかそうはいかなかった。ブラウザに表示するプログラムとしてはHTMLが配布されていた。これは文字や映像をタグで挟むというプログラムで、一般のプログラムに比べるとはるかに簡単にプログラムを組むことが可能だった。しかし、そうはいってもワープロを打つような感覚で扱えるわけではないので、やはり一般には敷居は高かった。こういった「受信中心で発信が難しい」のWeb利用環境のことをオライリーはアプリケーションのバージョンに見立ててWeb1.0と呼んだのだ。

21世紀に始まったWeb2.0

そして21世紀に入りネットの環境は飛躍的に進歩する。モデムではなくLANケーブル接続による高速回線の実現、ブログの登場、ネットビジネス、検索サイトの充実……こういった一連のネットインフラの拡充はe情報発信の可能性を飛躍的に向上させた。ブログを例にとれば、これは要するにワープロ文書作成感覚で自らのホームページを作成可能になったのだ。こういった「発信インフラの充実」を踏まえ、オライリーはWebというアプリがメジャーアップデートしたという意味を込めてWeb2.0と呼んだのだ。

で、まあその後Web2.0の議論はあちこちでなされていくようになったのだけれど……この議論、なんかある部分が根本的に欠落しているというふうに思わないだろうか。その問題点は二つ。

情報発信インフラの向上≠情報発信能力の向上

一つは情報発信インフラが向上したからといって、人間の情報発信能力が向上するとは必ずしも限らないということ。これはたとえばワープロ覚えたからといって文章が上手くなるわけではないということと同じだ。この二つ、関係が無いことも無いだろうけど直接結びつけるのはおかしい。だからブログの多くはただのモノローグみたいなもので発信能力がほとんど無かったり、Twitterでヤバイ情報漏らしちゃったりってなことがちょくちょく起こる。

パソコンをまともに使わない人間には関係のない話

そしてもう一つは(こちらがもっと重要なことなのだけれども)パソコンを使わない人間とかパソコンが苦手な人間のことを一切考えていないということだ。発信用のインフラが整備されようが、人がパソコン使わなきゃどうしようもないわけで。で、これに該当するのが実はWeb2.0の議論からハズされてきた多くの人々で、そしてその「使わない人間」の集合の一つとしてあてはまるのが僕の講義を受講する学生たちなのだ(残念ながら、ウチの大学はSFCではない ^_^; )

彼らはパソコン環境を持ってはいる。つまり入学時に親から買い与えられたり(明らかに親は、パソコンを「勉強道具」と認識している)、あるいは自宅に置いたあったりはする。ただし、これを使うのは勉強用。つまりワードを開いてレポートを作成すること。あるいはWikiやGoogleを使って勉強用の情報を入手したり、レポートにコピペしたりすること(それ以外で検索サイトを使うと言うことを、あんまりやっていない)。あとはYouTubeの閲覧かiTunesでiPodのデータの入れ替えくらい。ちなみに本格的に使うようになるのは大学3年の秋になってから。就活でリクナビやマイナビを使わなければならなくなるからだ。要するに“お勉強道具”というおカタいものがパソコンなのだ。そして、そのパソコンがネットにアクセスする方法。だから、ネットもあんまり使わない。

ちなみに、こんな質問も学生たちにやってみた。

「ネットを使って商品を購入したことがありますか?」

経験があるのは一割程度だった。そしてその一割のほとんどはAmazonからの文献購入で、たとえば楽天から購入したり、カカクコムのようなまとめサイトをみながら商品を購入するという学生はほとんどいなかったのだ。なんでもかんでもネットで済まそうとする生活をしている僕(楽天、カカクコム、Amazon、航空チケットやホテルの予約、それからネットバンキング。生産者から直接秋刀魚を買ったりもする)からすると、これは本当に驚きだった(まあ、これは僕が20年以上パソコンを使い続けてきたからなんだろうけど)。

つまりネット環境における発信のためのインフラが整備されたところで、先ずパソコンにアクセスしないのだから、Web2.0という議論はちょっとおかしいのだ。

The rest of us without Personal Computerがネットの世界に招待された!

ところが、こういったパソコンを使わない人たちが積極的にネットにアクセスするようになることがこれから考えられる。というか、もう始まっている。しかもドラスティックに。それがスマホという存在だ。そして、この広がりはWeb2.0による発信の高まりといった議論があまりにバカバカしい、的を外している議論であることを青天白日の下にさらすことになるのだけれど。

この議論、どう考えればいいのか。そしてネット環境はどう新しくなるのか。次回はWeb2.0ならぬWeb3.0について考えてみよう。(続く)