前回まで、社会学者・浅野智彦が提示した「趣味縁」という考え方による公共圏の再構築の可能性について披露してきた。島宇宙化・タコツボ化し、一部の親密な人間としか関わらなくなり社会性を失ってしまった若者たちに社会参加を促し、それによって公共性を持たせることで公共圏を再構築する方法として趣味を通じた人間関係を構築するというのがそれだった。


もっとも浅野は、この議論については、若者に限定している。しかし、この考え方はオタク化し社会参加に消極的になってしまった現代人全体に適応されるべきだろう。というのも、趣味縁の構築は若者の社会性欠如という問題に対する解消の手段だけでなく、日本経済の活性化にも繋がる可能性があるからだ。

滞留するジャパン・マネー

「カネは天下の回りもの」という言葉があるように、経済は稼いだカネを消費し、流通させることによって活性化する。つまり、個人が稼いだ所得を積極的に使用すると需要が創出され、それに対応すべく生産=供給を増加させると売り上げが伸び、翻ってそれが労働者の所得上昇となって可処分所得(≒遊びに使えるカネ)が伸び、さらに消費の需要が増すという「正のスパイラル」が展開される。

だが、個人が消費を渋ってしまうと、当然のことながら今度は逆の「負のスパイラル」が訪れる。つまり使わない→需要がない→生産が減少する→所得が減少して可処分所得も減る→いっそう使わなくなる、という循環だ。

そして現在の日本は、この負のスパイラルの状況にある。個人金融資産の総額が1500兆円。そのうちの多くが市場に貫流されることなくため込まれてしまうという状況が発生しているのだ。つまり、日本人は金を持っているのに使おうとしない。それが市場の不活性化をもたらしているというわけだ。

一般家庭は可処分所得が極めて低い

個人資産の内訳を見てみると面白いことがわかる。なんと個人金融資産の60%近くを六十代以上が所有しているのだ。一方、年齢別支出は40代後半がピークで60代は30代と同等、70代となると、その支出はいっそう下がっていく。さらに個人金融資産総額1500兆円とお伝えしたけれど、このうちの四分の一は負債(住宅ローンなど)で消えていく。そして、これらの負債を背負っている中心が30~50代であると言うことを考えれば、40代後半くらいまでは、要するに 「金融資産ー負債=低可処分所得」という図式があてはまるわけで、カツカツの生活を送っていると言うことがわかる。言い換えれば、持っているお金はフルに使い回しているのだ(まあ、これは僕が住むマンションを見てみても、よくわかる。僕の暮らしているマンションは30代が中心。価格は4000万円台。ほとんどの所帯が長期ローン(30年以上)を組んでいる。つまりかなりの負債を抱えている。このことは、たとえばゴミ捨て場のゴミを見るだけでも実感できる。たとえばカン・ビンの収集ボックスを見ると……ビール類だったらビールはほとんどなく、第三のビールか発泡酒。ワインだった1000円以下という状況なわけで、う~ん、みんなたいへんだなあ!と思わざるを得ない。つまり、みんなビンボーなのだ!)

経済不活性の元凶は高齢者

にもかかわらず、日本は経済が不活性。ということは、不活性の元凶は個人資産が多く、しかも支出が少なく、負債もない(高個人資産ー低支出かつ負債なし=高可処分所得)六十代以上の高齢者が金を貯め込んでいて市場に環流させないというところに求められるということになるだろう。ちょっと言い方は悪いが、現在の日本の高齢者はC.ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』の主人公、エベネーザ・スクルージのごとくエゴイスティックな守銭奴になってしまっている?ということは、この高齢者たちに金を使わせる、つまりはき出させれば、日本の市場を活性化することも可能になるということになる。

ただし、彼らから無理矢理カネをむしり取るというのは、やっぱりおかしい。本人たちが改心したスクルージのように、喜んで金を使いたい、はき出したいという心性を喚起するというのが筋だろう。 どうやって?(続く)