ディズニー世界を彩る二つの要素
ディズニーの創始者ウォルト・ディズニー(以下ウォルト)を語る際に欠かせないのはもちろんアニメとディズニーランドだ。そして、これらの構築物の根底に流れるものとして欠かせないのは「テーマ性」と「ストーリー性」であることが定番になっている。
テーマ性の徹底
たとえばテーマ性については、ディズニーランドが徹底したテーマパークであることでよく知られている。パーク全体が「魔法の王国」であり、そしてそれがいくつかのテーマ・ランド(ファンタジーランド、アドベンチャーランドなど)に別れ、さらにこけらのテーマランドの施設にもそのテーマに関連したサブ・テーマが設けられている。その徹底度はアトラクションやレストランはもちろん、トイレ、ゴミ箱といったものにまで設定されている。
物語性の徹底
一方、物語性だが、これについてはアニメ制作にあたってウォルトが口を酸っぱく品が言い続けことだった。「技術よりも、先ずストーリーが重要」とイマジニア(アニメ制作スタッフ)に言い続け、何枚も絵コンテを描かせながら、そのストーリー性をチェックし続けたことは、つとに有名だ。そして、それが大輪の花を咲かせたのが、1937年に公開された世界初の長編アニメ映画『白雪姫』だった。アニメ映画における物語性はウォルトの死後も踏襲され、現在のピクサー作品群にもしっかりと繁栄されている。また、物語性はディズニーランドのアトラクションにも反映されており、たとえばTDSのタワー・オブ・テラーは、1899年、強欲な富豪、ハリソン・ハイタワーがシリキ・ウトゥンドゥの呪いにかかり、ニューヨークのハイタワーホテルのエレベーターの中に消えていき、そのあとを観光客が検証にやってきて同じ目に遭うという設定なのだが、垂直に三回落下するエレベーターという、数分程度のアトラクションのために、こういったストーリーがしたためられ、ゲストたちを恐怖のファンタジーに巻き込んでいる。
でも、ディズニー作品の物語って、みんな”お子様ランチ”なんだけど……
さて、今回は、こういったウォルトにまつわる一般的な解釈を一旦横に置き、別の視点からウォルトの考えを考察してみたい。とりわけ今回取り上げ、ツッコミを入れてみたいのはウォルトの二つの特徴の内の一つ、物語性だ。
よ~く、考えてみよう。ウォルトが始め、現在もディズニーが踏襲している、この物語性。そんなによく出来たモノと言えるのだろうか?ディズニーの作品って、どれも「お子様ランチ」で、ほとんどどーでもいいようなくだらない物語=ストーリーしかないんじゃないないだろうか?でも、ディズニーの作品群のすばらしさを語る際に、先ず指摘されるのが、この「物語性の優秀さ」なのだ。
これって、ちょっと、おかしくないか?今回は、この物語性の意味について考えてみよう。ちなみに、この”物語性”、実はもう一つの要素である”テーマ性”と強く関係している(というか、二つは結局同じモノなのだが)(続く)
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