
カオサンのカフェ。iPhoneでFacebookをチェックする日本人バックパッカー。彼がアクセスしているのは旅の情報か?それとも日本の友人か?
バックパッキングにおけるデジタル・ディバイド
バックパッカーのFacebook利用実態について考えている。前回はその利用方法が旅の情報ツールと言うより、日本という日常を非日常で実現するための手段として用いられている、つまり後ろ向きの利用方法がなされていることを指摘しておいた。もちろん前者の利用方法をするバックパッカーもいるけれど、その大多数は後者。このことについて今回はメディア論的視点から考えてみよう。
デジタル・ディバイド=情報格差という言葉がある。情報化が進み、メディアによって情報アクセスが易化すると、これをジャンジャン使う人間と、そうでない人間に二極化するという、通称“マタイ効果”(「富めるものはいっそう富み、貧しいものはいっそう貧しくなる」という意味。社会学者R.マートンによる造語)と呼ばれる現象が出現することを指しているのだけれど、インターネットの出現によって、このデジタル・ディバイドは加速すると言われている。
これは僕の大学の学生たちにも顕著で、パソコンやスマホを持ってインターネットに頻繁にアクセスしているような連中は、ものすごい「情報通」になっている。毎日、これに日常的に触れているので、否応なく情報リテラシーが高まってしまうのだ。だから、同じ大学の学生でも、話している内容のレベルや情報量といったものが全然違ってくる(全員がパソコンを持ち、大学内で使いまくっているSFCなんかは本当にスゴいことになっているんじゃないだろうか)。
そして、ここまで展開してきたように、このディジタル・ディバイドがバックパッカーたちにも波及しているようだ。Facebookを活用し、旅の情報をジャンジャン集め、次から次へと旅先を渡り歩く情報感度抜群のごく一部のバックパッカーと、同じようにFacebookを旅先でチェックするが、故郷に思いを馳せ、母国の生活環境、コミュニケーション関係を継続させようとする用途で使用する大多数の低感度バックパッカーという格差だ。当然、前者の使い方をするのは、もともと情報感度に優れている高偏差値系の大学生(ただし、さらにその一部)が該当するだろう。
旅とは、バックパッキングとは?
で、ここで「Facebookで日本ばっかり見ているようではどうしようもない。 そんな後ろ向きなことばかりしていないで、しっかりと旅をしなさい。Facebookをきちんと使って!」と檄を飛ばすのは簡単だ。ただし、こういった檄の飛ばし方は半分は正解で、半分は間違っていると僕は考える。このことは「旅とは」「バックパッキングとは」という旅の存在論的問いをしたときにハッキリしてくる。
まず、確かに旅先に出たのに、そこで日本の環境を再構築し、そこから出ないのではバックパッキングとはもはや言えない。だから、そのことを指摘することは間違っていないだろう。ただし、じゃあFacebookを使って、あっちこっちのFacebook上の友達と情報交換して、次々と旅先へ向かうというのが絶対的に正しいことかと言えば、これまたそうとも言えないだろう。というのも、これでは「情報検索」という行為それ自体が旅=バックパッキングとなってしまう恐れもあるからだ。Facebookやインターネットは、あくまで旅のためのツールであって旅それ自体ではない(まあ「Facebookこそ旅である」と開き直ってしまえば、それも「あり」だけれど)。とりあえず、一番肝心なのはFacebookで情報交換したあとに、その情報を基にバックパッカー自身が旅をどう楽しむか、どう経験するかであるはずだ。
Facebookを高感度に利用し尽くすと、それはパックツアーと同じになる
もし、Facebookでこうやった情報交換だけを目的としたような旅をするのであるのならば、それはパックツアーで世界遺産を見て回ることと全く心性は同じということになる。名所旧跡をチェックするという、「見て経験することより、チェックすること、訪れたという事実を確認すること」が一番の目的になってしまうのだから。そして、そういった旅の情報チェック、旅先に行くという行為に特化したバックパッキングは、要するに自らが日本でやっている情報行動をそのまま旅先に持ち込んで、それを維持している行為となるわけで、これもまた、実は非日常に日常を持ち込むということでは、Facebookで日本の友人たちとコミュニケーションしていることと何ら代わりはないということになってしまうのだ(僕は、毎年ゼミ生をタイに連れて行き、調査のあとにバックパッキングすることを課題にしているのだけれど、その際「アンコールワット行き」を禁じている。カオサンから行く場合、ツアーに入るので、それじゃあ現地でパックツアーを調達したのと同じことになってしまうからだ)。
そう、インターネットそしてFacebookを高感度に利用してあちこちを旅している人間こそバックパッカーなんて考え方。実はこれ自体も、ものすごく偏っていると考えなければならないのではないだろうか。じゃあ、旅って、バックパッキングって、どう考えたらいいんだろう?(続く)
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