前回はカオサンでFacebookが大流行なこと。これをバックパッカーたちが駆使すれば、世界の旅の情報を縦横無尽に取り込むことが出来るようになる可能性があることを指摘しておいた。しかし、僕が知っっているかぎり、前回指摘した、上記のような「可能性としてのFacebook利用」、つまりFacebookを活用して次々とバックパッカー友達を作り、情報交換しながら世界を渡り歩く、というようなことをやっているバックパッカーはかなりマイノリティではないかと踏んでいる(というか、実際そうなっているのだけれど)。しかし、このことはFacebookの一般的な利用法から類推してみると結構見えてくる。

Facebookの人口は6億

確かにFacebookは便利なソーシャルネットワークだ。このことを世界中の人間が知っており「中国、インド、Facebook」と呼ばれるように、利用者は現在6億人を超えている。そして中東やアラブ地域で起きた政権の交代、革命のような大きなうねりは“Facebook革命”と呼ばれ、人と人を繋ぐ、もう一つの社会、ネットワークとしての機能がFacebookの特徴として語られている。

しかし、である。もし、6億人もの人間がこういった能動的でアクティブな使用法をしていたならば、今頃、世の中は凄いことになっているのではないだろうか。あっという間に民主主義が世界中に浸透し、人々は平等意識を持ち、かつてマクルーハンが標榜し、多くの人間がその意味を読み間違えた「グローバル・ヴィレッジ」が出現するはずだ(グローバル・ヴィレッジの考え方は”情報化によって世界が一つになり平和な世界が訪れる”と一般的に理解された。ちなみにマクルーハンが指摘していたのは”ヴィレッジ=田舎村の人間関係が世界大に拡大される”というもの。つまり、田舎のドロドロ関係が世界規模で起こると預言していたのだけど)。

Facebook利用法のメインは「いつもの仲間、昔の仲間とヨロシクやる」

ところが、そうはなっていない。むしろ、Facebookの最もメインの利用法は「既存の友人=リアルな友人の紐帯を高めるツール」というものだ。つまり、友人、知人とリアルだけでなく、ヴァーチャルでも繋げて親密性を高めるというのがFacebookのいちばんの魅力で、これはたとえば友人同士が直接は出会うことの出来ない遠距離にあったとしても、Facebookにアクセスすればすぐに出会うことが出来るというかたちで実現する。実際、僕も札幌、福岡、福島、名古屋、福岡、宮崎、沖縄、タイ、イギリス、アメリカ……に住んでいる友人とFacebookで毎日のようにコミュニケーションを交わしている(僕は川崎在住。そしてこれのブログを書いている現在、タイにいる)。で、こんな「友人といつでもどこでも出会える“どこでもドア”」としての利用がFacebook利用の中心と言える。実際、Facebookの創設者のマーク・ザッカーバーグも、これをはじめたきっかけはハーバード大学の社交クラブのヴァーチャル化だったのだから(しかも、ハーバード大学生完全限定だった)。

で、こうやって考えてみると6億人のFacebookの利用法が見えてくる。それは……ごく限られた範囲の顔見知りの仲間たちでのコミュニケーションを活性化させるためのツールだ。

バックパッカーたちの本当のFacebook利用法~「カオサンなう」

さて、ここから類推するとバックパッカーたちがカオサンのカフェやレストランでスマホやネットブックを開いて頻繁にアクセスしているその先がどこかも、必然的に見えてくる。それは……いつもの仲間たちだ。そしてその仲間たちに近況をコメントする。つまり

「カオサンなう」

これだ!

で、この利用法は、よく考えてみると、このブログで最初に取り上げた想定された電脳バックパッカーのアクティブでプル的な情報アクセス、情報行動とは全く反対の心性に基づいて情報行動=Facebook利用をしていることが判る。

バックパッカーは、今や非日常の中に日常を持ち込んでいる

想定されていたバックパッカーは常に旅のその先に向けて情報ツール=Facebookを駆使していた。一方、一般的な文脈でのFacebook使用に基づくその情報行動は、必然的に、旅の前、自分が住んでいる日常である日本のコミュニケーション環境に向けられている。つまりそれは、前者の心性が旅を非日常と捉えるのに対し、後者は旅という非日常の中で日常を実現することに向けられているということになる。

そして、バックパッカーたちの「非日常における日常実現ツールとしてのFacebook利用」という情報行動スタイルは、僕が16年間カオサンで取り組んできたバックパッカーについてのアンケート調査結果と見事に一致する。そのほとんどが20代前半で、そして旅行日数は二週間程度(ちなみにこれが90年代後半で、現在は10日程度にまで短縮されている)。つまり、パックツアーやスケルトン・ツアーの倍程度の滞在日数でしかない。で、周遊するところもタイだったらローズガーデン、水上マーケット、暁の寺、王宮、ムエタイ、ウイークエンドマーケットとパックツアー客とほとんど代わりはない。買い物するのもコンビニ、お茶するならスタバ、メシ食うならマックやケンタッキー、その辺の屋台の料理は目の前にあるけれど、ちょっと衛生的におっかないのでパッタイ=焼きそば程度にしか手を出さない(実際、日本人はアジアの細菌に慣れていないので、一週間も滞在すれば、かなりの旅行者が食中毒になるのも事実だけれど)。つまり海外、バックパッキング、カオサンという非日常の中で日常生活にアクセスしているバックパッカーがほとんどなのだ。

Facebookの利用方法も、こういったかたちになるのも無理はないだろう。つまり、Facebookは世界のどこに行っても、自国の日常を再現することが可能なメディアなのだ。(続く)