中国13億の人口がマイノリティになる時代がやってきた

国民を計量的=一山と考え、個人=人権を無視することで発展を遂げてきた中国。ところがこの政策が、?眷小平以降の改革・開放政策で民主化が進み国民の所得が増え、これに伴って個人主義が浸透し、人権意識が中国国民の間に生まれたことで、うまく機能しなくなってしまった。そして、その象徴的な事件として今回の中国高速鉄道事故の波紋が広がっていることを前回は指摘しておいた。

だが、国民を計量的に扱うことが出来なくなりつつあることについては、もう一つ別の側面=理由もある。中国が産業力をあげるためには、当然、その市場を開拓しなければならない。つまり、それは国際的な市場に打って出なければならないことを意味する。で、これまでは前述したように人件費の安さが低価格商品を可能にし、これが国際競争の大きな武器として機能していた。だが、このまま経済成長を続ければ、いずれ中国もまた所得が上昇し、それが商品価格に反映されることとなって競争力を弱化させることは明らか。マルクス的に言えば、この「搾取的」な市場戦略(この場合、国家=資本階級、国民=労働者階級ということになる)は功を奏さなくなることは目に見えている。

技術力を示すことがデファクト・スタンダード

となれば、今度は技術力で勝負しなければならない。そして、その技術力を世界に見せつけるべく展開しようとしているのが高速鉄道であるし、だからこそ急ピッチな開発で中国全土に高速道路網を敷設する必要も出てくる(中国の高速道路網は、すでに日本の新幹線の四倍の規模に達している。しかも敷設し始めてからまだ6年もたっていない(開業してから四年!)というのに)。これだけ広がっていれば、そして急ピッチな開発であるならば、それが技術力の高さを証明することになるからだ。ところが、今回の事故は、その技術力の甘さというか、低さを世界に向けて露呈する結果となった。競争相手である日本、韓国、フランスなどと比べれば、これによって明らかに鉄道の海外売り込みについては一歩も二歩も遅れをとったはずだ(中国は、くどいようだが人件費が低く抑えられているので、他国と同じか、ちょっと低い程度の技術であっても、建設費が安い分だけアドバンテージがあるわけで、それが強みだった。しかし、今回の事件で、中国鉄道のその採用基準としては安全>安価という図式になってしまった)。

だったら、今回の事故を隠蔽してしまうことは、国際競争での明確な敗北を意味することになってしまうのだ。だから、政府は方針転換。問題を明らかにするという方向に舵を取ることを余儀なくされたわけだ。

人権を尊重することもデファクト・スタンダードへ

さて、こうやって考えると中国という国家は、今、岐路に立たされている、つまり経済的発展の第二段階に入ったと考えるのが妥当だろう。ここまで展開してきたように、これまでのような人を人とも思わぬような外交と経済政策では、国内的にも、国際的にも、もう太刀打ちが不可能なところにまで来ているのだ。そう、これまでは13億5000万人の強みを持って、政府は個人を無視してやりたいことをやってきたわけだけれど、これからは国際的には世界の全ての人口を相手にしなければならない。世界人口は現在70億人。一方、中国は13億人なので、こちらの規模から見れば、中国はマイノリティに属してしまう。つまり、一層の経済発展のためには57億人を相手にしなければならなくなったのだ。そして、国内的にも同様で、自ら育てた国民たちが資本主義、消費者の立ち位置で生活を謳歌しはじめた。こちらにも、対処しなければならないところに来てしまったのだ(ということは、もはやこの計量的な政策は70億人に対して無効ということを意味する)。

そして57億の大多数が支持するのが民主主義、そして消費生活。だから、そこに付随する個人主義、つまり「人間を計量的に扱うのではなく、尊厳ある、そして人権を持った存在」という「個」を中心としたイデオロギーを支持しなければ、もう、中国経済発展の将来はないということになった。

そう、中国は経済発展とともに、国際社会の一員としての役割を果たさなければならないという義務を、必然的に背負わされる状況に追い込まれた。もう大国としての傲慢さを武器にすることは難しい。そのことを中国政府は、今回の高速鉄道事故でイヤというほど実感させられたのではなかろうか。中国は経済的に揺籃期を終え、世界という社会での「大人」として自立しなければならない岐路に立たされたのだ。

こう考えると「元」の変動相場制移行も、そう遠い話ではないのではなかろうか。また、世界各地で蛮行を繰り広げ、顰蹙を買っている中国人旅行客が、インターナショナル・ルールに基づいて、礼儀正しくマナーを守るようになる日もやってくるのではなかろうか(ただし、こちらはかなり先の話だろうが……)。