4.バックパッカーにおける情報行動の変遷

4.1アンケート調査結果概要

前回まで見てきたようなメール→ネットカフェ→パソコン・スマホといったバックパッカーの情報行動における変化を、アンケート調査結果を参照しながら考察してみよう。ここでは僕がカオサンで実施した二つの調査結果を比較する。一つは96年3月(回収票数312)、もう一つは2010年8月(回収票数32)のものだ。調査はともにカオサン地区。以下、概要を示す。
 

まず変化のあまり見られなかった調査結果は性別(男女比=4:1(96’=77.9:22.1、2010’=81.3:18.7))、旅行者の日本での居住地(首都圏:近畿圏:そのほか=6:2:2(96’=61.5:23.5:15.0、2010’=59.4:21.9:18.7))、旅の予算(7万円台(タイへの航空運賃除く))、旅の日数(二週間前後(96’=14.2、2010’=13.8)ガイドブック所持率(9割(96’=90.6、2010’=90.6))、 一日の生活費2000円程度)だった。つまり、ここ十数年、カオサン地区を訪れる日本人バックパッカーは、主として大都市圏出身の男性で、二週間前後を予算七万円程度で、ガイドブックを参照しながら旅する若者と言うことになる。

 
一方、変化のあったものとしてはまず年齢、属性、海外旅行経験数があげられる。年齢については21.7歳から23.8歳に上昇した。次に属性だが1996年調査では学生80.8%、会社員4.6%、その他14.6%だったが、2010年では学生37.5%、会社員46.9%、その他15.6%となっている。海外旅行経験数については1996年の調査では3回程度だったが、今回調査では6回以上と答えた者5割おり、それゆえ、少なくともカオサンを訪れるバックパッカーにとっては海外旅行離れという傾向は見られない。だが、この三つの変化は学生のバックパッキング離れを示唆するものともいえるだろう。とりわけ会社員が学生数を上回っていることは、これを物語っている。
 
 

4.2旅の危機管理

今回は旅の危機管理についても質問を行っている。質問の趣旨は二つからなる。一つは旅の安全についての管理で、これについては大きな変化が見られた。もう一つはタイの政情不安に対する意識だ。
まず旅の安全の管理について。これは、旅の情報入手についてから見ていく。
前述したように、ガイドブックの所持率は同様だが、利用方法、頻度には変化が現れている。主な情報入手手段について1996年調査は「ガイドブックから」が9割だったが、今回はインターネット45.5%、ガイドブック45.5%と拮抗している。これはネットカフェや持参のパソコン、さらに持ち込みのスマート・フォンなどで手軽にインターネットにアクセス可能なため、もっぱらガイドブックに依存しながら旅をするというスタイルが崩れたことを伺わせる(また、ガイドブック離れの傾向は、最も所持率の高い『地球の歩き方』がバックパッカー向けの編集ではなくなったことも要因の一つと考えられるだろう)。
 
次に所持金の携帯方法について。1996年の調査においては、その方法の中心はトラベラーズ・チェック(以下TC)だった。TCは盗難・紛失に際しても再発行が可能なため、旅行に際しては最も安全性の高い金銭の形態手段としてバックパッカーの間では、当初から広く浸透していた。またガイドブックも、これを強く奨める記事を掲載していた。ところがこの状況は2010年で大きく変わっている。最も多いのが現金の持ち歩き(78.1%)、次いでクレジット・カード利用(37.5%)で、TC利用者は9.3%に過ぎなかったのだ。しかも、所持する金銭の内、最も金額的に多いのが現金だった。いいかえれば、現在、バックパッカーは、最も危険な方法で金銭を持ち歩いていることになる。ただし現金のみ、カードのみ、TCのみといった利用は少なく(それぞれ25.0%、3.1%、3.1%)、多くはカードと現金の併用というスタイルを採っている。
 

4.3タイ危機と海外旅行、そしてバックパッカー

ご存じのようにタイは2010年4月、タクシン元首相を支持するグループの反政府集会がきっかけとなって、バンコク市内で暴動が三ヶ月にわたって発生した。この暴動によって海外からタイへの観光旅行客数は激減している。中でも日本人観光客の減少は著しく、タイ政府観光局の統計によれば4-6月の日本人タイ入国者数は前年比で、それぞれ-7.1、-24.4、-11.0%となっている。全体の前年度比率がそれぞれ+2.1、-12.9、-1.1%だことを踏まえれば、これは日本人が海外で発生する政変や暴動に敏感に反応しやすいことを示唆する数値と言える。
 
必然的に日本人バックパッカーの旅行意識にも、こういった危機意識があることが予想された。バックパッカーに東南アジアの危険と思われる国を三つ挙げてもらったところ、タイはベトナム、ミャンマー、カンボジア、フィリピンに次いで五番目に位置づけられていたのだ。これについては96年のデータが無いため比較は出来ないが、タイへの日本人の海外旅行者数がアメリカ、中国、韓国に次いで四位だことを踏まえれば(これは、日本人がきわめて日常的な海外として利用している。言い換えれば危険度の少ない国と判断している)、この結果はバックパッカーにおいても、タイの政治不安に対しては、ある程度、危機意識を抱いていると想定できる。
 
ただし、前述の所持金携帯方法に典型的に見られるように、その他の危機管理に関しては96年に比べると、むしろ、かなり雑になっている傾向が見られる。概略を示せばゲストハウスで、自室に自前の鍵をしない、疾病に対する事前の対策(薬などを持ち歩く、予防接種を受ける)をしない、ガイドブックをあまり読んでこない、読んでいないなどが挙げられる。「タイ行きを躊躇したことがあったか」という質問には8割が「ない」、「事前にタイの政治状況をメディアでチェックしたか」については4割がせず、報道される情報を真剣に捉えたのは2割強程度に過ぎなかった。
 
これは、肯定的に捉えれば安宿街が近代化したことで、さほど身辺に対して安全管理をしなくても投宿できるようになったこと。また情報インフラが発達したために、メディア情報に対して相対的な認識をするリテラシーが養われたことと捉えることができる。反面、情報や安全に対する準備や対策を以前ほどしなくなったことを踏まえれば、バックパッキングをする若者たちにとって、この旅行スタイルが等身大のカジュアルな存在になり、危機管理意識が低下したととらえることも可能だ。だが、いずれの解釈を採用するにしても、今回のタイの暴動とバックパッカーたちの危機意識との間には、データから見る限り大きな関連があるようには思えない。ちなみにカオサン地区は4月11日に日本人カメラマンが反政府デモの最中、銃撃戦で撃たれて死亡した民主記念塔付近から、わずか400メートルほどの至近距離に位置している。(続く)