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2010年夏のカオサン。夜になると露天で通りが埋め尽くされる。

 

バックパッカーの聖地・カオサンなう

今回は80年代以降、若者を中心に普及していったバックパッキングという海外旅行のスタイルでの情報行動、対メディア行動の変化について、タイ・バンコク・カオサン地区でのフィールドワーク・サーベイを通して報告してみたい。とりわけ今回は旅における危機管理に焦点を当てる。考察の中心は1996年と2010年に実施された二つの調査比較だ。
 

1.バックパッキングとカオサン

はじめに今回対象となるバックパッキングという旅行スタイル、そしてバックパッカー(バックパッキングを行う旅行者の通称)が投宿するカオサン地区について概略確認しておこう。
 
世界では70年代、わが国では80年代以降、若者の間ではバックパッキングという旅のスタイルが流行し始める。バックパッキングとは、航空券のみを購入し、海外を宿泊地の予約などなしで周遊、滞在する自由旅行スタイル。こういった旅行スタイルの普及とともに、タイ・バンコクは欧米、そして日本からの旅行者が世界を旅するためのハブ的存在としてバックパッカーが集結するようになった。
 
またこの旅行スタイルに合わせ、バックパッカーが集結する、通称“安宿街”と呼ばれるエリアを世界各地に形成されるようになる。そして、そのうちの世界最大のエリアがバンコク中央、王宮北に位置するカオサン通り(以下、カオサン)一帯だ。カオサンにはゲストハウス、レストラン、旅行代理店、土産物屋などのバックパッカー向け施設が数多く存在する。たとえばゲストハウスひとつとっても百件以上が軒を連ねている。ここには欧米、アジア、オセアニアからたくさんのバックパッカーたちが集結している。
      

2.バックパッキング史概略~アジアを中心に

 

次に日本でのバックパッキングの歴史についてちょっと見ておこう。

 

2.1バックパッキングの普及

小田実の紀行文『なんでもみてやろう』に象徴されるように、60年代、すでにバックパッキングを行う若者が出現している。だが、当時は外貨持ち出し制限(なんと2万円。これで一体何ができると言うんだ?)、為替レートの固定相場制(1ドル=360円、今だとMac1コが360円となる)などもあり、一般の若者にとって海外は遠い存在だった。それゆえ、若者のバックパッキングの歴史は、実質的には70年代後半あたりからと見なすのが妥当だ。とりわけ78年に出版を開始したバックパッカー向けガイドブック『地球の歩き方』の影響は大きい。本書は、若者たちに出来るだけ長い期間、安く海外旅行することを提案する。そして、これが当時の若者の支持を受け、バックパッキングが若者、とりわけ学生たちの間で流行し始めるようになったのだ。また、この時期からテレビや雑誌などのメディアにおいても海外の情報が頻繁に流されるようになるなど、メディアを通して海外イメージの一般化が進む(日本テレビ「アメリカ横断ウルトラクイズ」がその典型)。そして86年のプラザ合意によって急激に円高が進行すると、経済的負担が大幅に減少したことから日本人の海外旅行熱は上がり、91年には年間と後者数が一千万人を突破。バックパッキングも、大いに人気を博するようになっていった。
 
若者たちのバックパッキングという貧乏旅行は80年前後までは、その行き先が欧米中心であったが、次第にアジアへとシフトし始める。その理由の一つに、八十年代前半から半ばにかけて『地球の歩き方』が立て続けにアジア各国版を刊行し、これを読んだ若者たちが、アジアが欧米よりもはるかに安く旅行できることを発見したという経緯があった。82年インド編、85年タイ編が出版されると、これらの国には若者が大挙して押し寄せるという現象が発生した。

 

しかし90年代半ばをピークに海外旅行人気は、なぜか下り坂になっていく。(続く)