缶入り生ビールという「ことばのあや」


無香料なのにペットボトル茶はなぜ香るのかについて考えている。実はこのレトリックと全く同じやり方をしているのが市販されている生ビールだ。

かつて瓶ビールと言えば当然熱処理した「ラガービール」が基本だった。というのも熱処理しなければ、出荷後も瓶の中でビールの発酵が進んでしまい、味が変わってしまうし、保存が利かないからだ。熱を通すというのは、要するに中の発酵菌を殺してしまうことを意味した。ところが、現在、瓶ビール、そして缶ビールのほとんどは「生」と書かれてある。キリン・ラガービールまでが「生」とあるくらいだ。しかし、これらの生ビールは長期保存が利く。ではどうしてだろうか。

このポイントは「熱処理していないこと」にある。生ビールと明記するためには「熱処理さえしてなければいい」というふうに法律で決められている。そこで、サッポロはこの理屈に合う技術を考えた。それは、当然のことだけれど「熱処理しないで長期保存を可能にする技術」を開発すること。これをフィルターを開発することで達成する。製造したビールをこのフィルターに濾過すると、菌が通過せず、液体だけが通過するので、結果として取り出したビールを瓶詰めしても発酵が進むことはない。だから長期保存が可能。これが、現在の瓶・缶ビールの「生」の意味となったのだ。

しかし、まあ、これは理屈といえば、理屈。本来「生」というなら菌が「生」つまり「生きている」べきなのだから。こちらの方が本当の「生」の意味ととらえるのが正しいだろう。だとすれば家で飲むビールは「生ビール」ではなく「死ビール」ということになる。店で飲む生ビールと、瓶・缶ビールの生ビールの味が違うのはこういったレトリックによるのだ。

香料なのに香料ではないという、あやしい理屈

さて、話を「無香料になのに香りがするお茶」の話に戻そう。これはどうしてこうなるかというと、これもまた瓶・缶生ビールと同様、法律的に無香料であるという基準をクリアしているからだ。ということは、実際には香料。だから、こいつにもレトリックがある。

で、また話をちょっと別な方に振らせていただきます。その話とは僕の友人がやっている商売。彼がやっているのは「エキス売り」という仕事なのだが、この仕事が今回のネタと大いに関係がある。ある日のこと。飲み屋で彼と一杯やっているとき、その仕事の内容について、彼は飲み屋のテーブルで実演しながら説明して見せてくれた。

彼は店員に水を一杯注文、そしてそのコップに醤油を注ぎ込んだ。次いでバッグの中から小さな液体=エキスを入った瓶を取り出し、ここに爪楊枝の先をほんのちょっと触れさせ、それを今度はコップの水の中に入れた。エキスは0.01ccもないような量だ。

「ちょっと口をつけてみな」

彼はコップを僕に差し出した。これを手にとってちょっと口に含むと……それはなんとそばつゆだったのだ。コップいっぱいに鰹の香りが広がっている。

「あっちこっちのメーカーから出している、そばつゆの香りってのは、こうやってできているのさ。1トンの砂糖醤油に対して5ccくらいこのエキスを入れれば、香り豊かなそばつゆになるってわけだね」

「へーっ!」と感心しながらも、僕は速攻ツッコミ返した。

「でも、そばつゆに「香料」なんて記載はないぜ」

すると、彼はにんまりしながら、次のように答えた。

「そうだよ。でも、実際は入っている。しかもこれは香料だ。だから本当は明記しなけりゃいけないハズなんだけど、なぜかこれはしなくてもいいことになっている。というのも、添加物は添加するものと同じものから作っている場合には、法律上は明記する必要がないんだ。このエキスの場合、鰹から抽出したもので、それを香りが飛んでしまった鰹のつゆに添加している。まあ、おからを豆乳入れて作るようなもんだよね。で、何でこんなややこしいことをするのかというと、やっぱりそばつゆや鰹だしに香りは必要。でも「香料」みたいな食品添加物は「健康に悪い」というイメージが強い。だからメーカーとしてはなるべく成分表には記載したくない。そこで、記載しなくてもいい鰹から取ったエキスの香料、つまり鰹成分の添加物を使うというわけだよね。でもって、そこがこっちの商売の目の付けどころってわけさ」

食品添加物=悪という図式

「ということは、ペットボトル茶なんかのお茶の香りも、そういうこと?」

「もちろん。お茶の香りがずっと続くなんてことはありえないからね」

彼に言わせると鰹のエキスから取らなくても別のものでも十分香りを作ることはできるそうだ。あえて鰹を使用するのは、ようするに「無香料」と明記したいがためなだけ。

で、じゃあ鰹からエキスを取っているから安全かというと、

「他の化学的な成分から作るものと同じくらい安全だよ」

と、皮肉たっぷりの返事をしてくれた。

これは、言い換えれば「同じくらい危険」と言うことでもあるのだけれど、もっとツッミを入れると、果たして食品添加物が危険なのか?という疑問が沸いてくる。実際に危険かどうかはとにかく、われわれは、ただ単に「食品添加物は身体に悪影響を与える」と思い込んでいるのだ。だからこそ、その明記の必要のない、彼のようなビジネスが成立する。要するに、それは実態とはかけ離れたイメージの中で成立している「安全と危険」という対立軸ということになるのである。