バンコク安宿街・カオサンでのバックパッカーインタビュー第二弾をお送りします。


世界が計算不可能なことを教えてくれたキリマンジャロ


Sさんは29歳のサラリーマン。自由で闊達な社風で知られている自動車会社の営業で働いている。バックパッキングは大学時代にはじめて以来、ずっと続けている。そして今回はなんとタンザニア。というよりもキリマンジャロ制覇。十日間の短い旅行期間を有効に活用して頂上までたどり着いたのだが。キリマンジャロが彼に見せてくれたものは想定外のものだった。


計算可能な人生をやってきた

-----バックパックキングはじめたきっかけは
これをバックパッキングと言っていいのかはちょっと疑問かも知れませんが、自分がバックパッキング的な気持ちではじめた最初の旅は南アフリカ行きでした。実は、一年間の語学留学だったんです。学ぶ言語は英語。だったらアメリカとかカナダとかを目指すのが普通ですが、南アフリカを選んだのには、きちんとした理由がありました。それは、そこに行くことが自分の将来にとって有利と考えたから。南アフリカは治安が悪かったり、アパルトヘイトの問題があったりと、国家としては一目置かれた存在。そんなところに一年行ってたなんてことになれば、就職の面接の時に目立つだろうと考えたんです。

-----実際にはどうでした
てきめんでしたね。南アフリカのことを話し始めた途端、面接官は食いついてきましたからね。おかげでいわゆる一流どころの企業からはいくつも内定をもらい、そして第一志望の現在の会社に入社したわけです。自分の人生はこんな感じで、だいたい何をやるかについて想定して、計画を立てて、これを着実に実行していくという感じで。まあ、それがだいたい成功してきたというところはありますね。しかし、今回のキリマンジャロ行きで、この「計画通り、想定内」という認識が大きく崩れてしまいました。

自然は計算通りにはいかない

----キリマンジャロでは何があったのですか
ガイドやヘルパーを三人ほど雇ってキリマンジャロを目指したのですが、途中でほとんど高山病という状態になってしまい、結局、下山するときには両脇を抱えられてと言うことに。自分としては、十分な準備と計画を立てて、しかも高山病対策までしていたんですが、それでもダメだったというのはショックでした。とにかく、やろうと思っても全く身体が動かない。くやしいというか。しかし、いちばんショックだったのは、自分の自信が失われたこと。「全て計画すればそれは必ず実現可能」というようなこれまでの思い込みが、自然の脅威によって一気に打ち崩されてしまったんです。
ショックでしたね。しかし、それと同時に新しいことも発見しました。実はこれまで、自分は「無意識のうちに自分が達成可能なことにのみハードルを設定して、単にそれを達成してきただけにすぎない」ということに気づいたんです。

新しいハードルを発見した

-----もう少し詳しくお話しいただけますか
出来ることを出来てそれに満足しているだけ、ということに気がついていなかった。これが自分にとって見えない壁、限界だったんです。ところが今回、自然が自分に提示したことは現在の自分では出来ないこと。だから当然、これを達成できない。それは、さっき言ったように、自分が一定の枠の中でしか行動していなかったことを教えてくれたんです。でも同時に、今度は自分が目指すべき新しい世界を見せてくれもしました。つまり、これからは「出来ること」ではなく「出来ないこと」を設定し、これにチャレンジしていく。そうすることで、現在の自分がXだとしたら、これにチャレンジしていくことで今度はX二乗、さらにはX三乗の自分に到達できる。これは、これからの自分の仕事にも十分に生かせることだと考えますね。自分の殻を認識し、それを打ち破っていくこと。それはつらいことだけれど、最終的には満足度の高いものになる。そういった意味では、新しい、チャレンジしていくものを教えてくれると言うことで、バックパッキングはこれからも続けていくでしょうね。

インタビュー後記

“Sさんにとっては、これまでのバックパッキングは、実は日常の延長でしかなかったのでは?”インタビューの中でふとよぎったのがこの印象だった。これまで三十回ほどのバックパッキングを経験している彼だが、実はそれは、ちょっと辛口の表現をすれば「点数稼ぎ」、ややもすれば「出世の道具」。それが今回、キリマンジャロで自然と対峙することで、この点数稼ぎが「自分自身の成長」へ向けられたのではないか。つまり三十一回目にして、彼は新しいバックパッキングの意味を見いだしたのだ。