イメージ 1

(レストラン”Kansai fu(ll)の店内。タイ人たちが楽しそうに和食をつつく)


イメージ 2

(日本料理屋台”Japanese Tavern”。食事をする二人は韓国人)



イメージ 3

(“Japanese Tavern”のメニュー)



イメージ 4

(からあげ定食を注文してみた。味はしごく”まっとう”)


客層も、またヘン

タイ・バンコクの安宿街・カオサンの変容について「日本」との関連で考えている。このエリアの日本が、ちょっとかわりつつあるのだ。前回は妙ちくりんな日本料理店が建ちはじめていることについて指摘しておいた。今回はもうひとつ、というかこっちの方が実はオドロキなのだが、ヘンなところとして挙げておかなければならないものがあり。ある意味、こっちの方がヘンであるのだけれど。それは客層だ。ほとんどタイ人なのだ。

かつて、日本料理店は日本人バックパッカーのためにあった

前述した竹亭やレックさんラーメンがオープンした頃(98~99年)、客のほとんどは日本人だった。竹亭の方は寿司を出しており、これで、ここにやってくるファラン=欧米人も客層としてあてにしていた。欧米では寿司と言えば高級料理。日本人にとってのフレンチに該当する。それが安宿街カオサンで五百円、つまり4ユーロくらいでありつけるとなればこれは欧米人にとってはウレシイ。こう言ったこと当て込んで竹亭のご主人・橋本さんは欧米人向けの寿司(アボガドをベースとした各種の巻き寿司)を用意していた。ただし、カツ丼、天丼、そばという、日本人が食べたい料理もきっちり揃えており、それゆえ客層は日本人と欧米人のミックスだった。

一方、”流浪のラーメン屋”レックさんラーメン(オーナーのイジメによって店の場所を転々とし続けた)の方は、例えば四店舗目(カオサンでは三店目)がランプトリ通り・SAKURAゲストハウスという日本人宿に併設されており、ここの日本人宿泊客と、この客から口コミで広がった日本人旅行者を相手にしていたが、竹亭に比べると価格が安いことからバックパッカーのたまり場になっていた。

タイ人の、タイ人による、タイ人のための日本料理

ところが、新設された日本料理店は違う。客のほとんどはタイ人なのだ。ご存じの方も多いだろうが、現在、タイは空前の日本料理ブーム。Oishiというレストランが食べ放題のレストランを開いて当たったのが始まり。しかも、ここがペットボトルの緑茶を販売するやいなや、全国的な大ブームとなり、今やコンビニのペットボトルの主力商品となってしまったほど(ほとんどは砂糖入りなので、われわれ日本人は口にするとビックリするのだけれど。進出したキリンの生茶でさえも砂糖入りになっているという状態)。そして、今やブームを飛び越えてしまい、もはや定着した感すらある。この波がカオサンにまで押し寄せてきたのだ。前述のKansai fu(ll)もお客のほとんどは日本人。おもしろいのは家族連れみたいに複数での来客が多いこと。みんなでわいわいやっている。

日本食の普及の程度がわかるのは日本料理屋台だろう。つまり日本料理は屋台にまでなったのだ。カオサン通り一本北を並行して走るランプトリ通りにJapanese Tavernという屋台がオープン。メニューはカレー、からあげ、カツ丼、鯖ステーキなど。どれもご飯と味噌汁がつく。米はジャポニカ米を使用。味はごくごくまとも。一般の大学の学食よりもおいしいくらい。ということは、ヘンでもなんでもない日本料理がカオサンで提供されていると言うことになる。そして、この屋台の周りを囲むお客は、やっぱりタイ人なのである。

これまでの日本人バックパッカー向けレストランも……

いや、これだけではない。最初に挙げた竹亭やSAKURA屋(旧レックさんラーメン更。オーナーも代わっている)も様子が変わっている。どちらも、やっぱりタイ人だらけ。竹亭はご多分に漏れずタイ人が増えた。面白いのはSAKURA屋で、ここは場所がもの凄くわかりにくい。ほとんど看板がわからないところに掲げてあり、しかも長い廊下の先、ビル奥の階段を上がった五階(エレベーターは二年前から壊れたまま)にあるので、口コミでなければ絶対に知られそうもないところなのだが、ここにわんさとタイ人がいるのだ。かつてだったら、日本人だらけで日本に帰ってきたかのような錯覚に囚われたこの空間が、今ではタイの日本料理店で日本人がぽつねんと食事をするといった風情に変わっている。おそらく「ここは安い」といううわさがタイ人たちの間に広まったのだろう。やはり、仲間と連れだって、いろんな種類の料理を注文している。それは、さながらパーティを開いているようでもある。(続く)