
(路にはみ出すバー。タイ人と欧米人がごちゃまぜ)

(歩道にはみ出すマッサージ。店内左は今年流行のフィッシュ・スパ)

(Tシャツ、今年のニューモード)

(ビール缶でつくられたトゥクトゥクのおもちゃを物色する欧米人の子ども)
通りを歩くことが、できない
タイ・バンコク・カオサンの賑わいは、カオサンという安宿街をバンコクでも知られた観光地にまで押し上げるようになった。そう、賑わい見たさ(ファラン=白人が闊歩していることがファッショナブルに思えたこともある)に、ここにタイ人の若者たちが押し寄せるようになったのだ。だから、レストランやバーは必ずしもバックパッカー向けというわけではなくなった。店の中を覗いてみれば、半数以上がタイの若者。こういった風景がごくごく一般的なものになったのだ(さすがにゲストハウスに宿泊するタイ人はまだまだ少ないが)。そんな中で、周辺を構成する店舗もどんどんと変化している。
企業経営の店舗が増える
以前あったのは、まず民家(80年代終わりくらいまで)。あるいはこれをゲストハウスに改造したもの。そして、やはりこれを改造したバーやレストラン。さらに旅行代理店、そして何故か銀製品屋と仕立屋(当然インド系の経営)。だがレストランやゲストハウスは、次第に企業が展開するようになる。そして、90年代後半からはコンビニがオープン。一方、かつてはかなりの数に上った銀製品屋が減少。代わってインターネット・カフェやクラブが建ちはじめる。前者はバックパッカー向け、後者はどちらかというとタイ人若者向け。2000年以降はマックやスタバと言ったファースト・フードも進出した。さらに各国料理も充実していく。イスラエル、インド、ネパールなど。本格的なピザ釜でピザを提供するところも登場。気がつけばカオサンは、世界のどこなのか、わけのわからない”インターナショナル・プレイス”へと変貌していた。
飲食物以外のものもいろんなものが登場している。マッサージ店は路上にベッドを堂々と置き営業している。昨年にはiStudioというアップルの製品を専門的に扱う見せもオープンした(一年持たなかったが)。ちなみに今年の旬はFish Spaだ。マッサージ屋が店の前に小魚の水槽を置き、客がこれに足を入れると、魚が皮膚表面の老廃物を食べてくれるというエステで、その珍しさで結構、流行っている(まあ、これはまさに”流行り物”。三年後には、もうないな、これは)。
ネカフェが減少
一方、減少が顕著なのは、なんとインターネット・カフェ。95年に初めてネカフェが登場して以来、カオサン通りにはどんどん増殖していったのだが3年ほど前にその増加がストップしたかと思うと、今度はどんどんなくなりつつあるのだ。その理由は簡単。これが商売としては成り立ちづらくなったから。
メールやIP電話などの需要もあって、90年代後半以降、バックパッカーにとってインターネットという存在は欠かせないものになった。ただし、当時はまだインターネットに関するインフラは整っていない。パソコンも標準ではネット対応でなかったし、回線も電話回線で非常に遅かった。もちろんWi-Fiなんてものもない。しかし電話や手紙に代わるメール、そしてネット回線を使った格安のIP電話という手段は極めて便利。それゆえ、バックパッカーが連絡手段としてネットを早くから選択したことは極めて当然の成り行きだった。だからカオサンについたら、まずネカフェというスタイルが定着していた。
しかし、ネットのインフラがここ数年で充実。その波は当然カオサンにもやってきた。ゲストハウスやカフェでWi-Fiを配置したところが現れただけでなく、タイのプロバイダ(Trueなど)と契約して気軽にネットにアクセスすることが可能になったのだ。あっちこっちでフリーの電波を飛ばしているところも(通称”野良電波”)。となるとネカフェ自体が、公衆電話的な立ち位置に立たされることになった。つまりケータイの普及で公衆電話が減少したように、Wi-Fiなどのネット環境の充実でカフェもまたその存在根拠を失っていったのだ。
屋台や露店も変化した
路上の屋台も同様だ。当初合ったのはパッタイ、ソーセージ・春巻き、フルーツなど。ところが、これにカクテル、シェラスコなんてのも登場した。タイ人向けのイサーン屋台(ソムタム、ガイヤーン、サイクロ・イサーンなどタイ東北地方の料理を提供する)、さらにはこれもイサーンものなのだがタガメやイナゴ、芋虫などの虫(食用)を売る屋台まで。虫屋台は最近では欧米旅行者にも「ゲテモノ・チャレンジ」の感覚で、結構トライされている。実は昨年、僕のゼミ生たちが、虫屋台で購入したいろいろな虫をカオサンにいるバックパッカーたちに食べさせてみるというビデオを作成したのだけれど、かなりの欧米人が快く協力してくれた。
そして今年ホットな新しい店は、なんと日本料理店なのだ!(続く)
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