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(CTロードの北突き当たりにある現在のサンタナロッジ)

サンタナが嫌がらせ受けた背景にあるカーストの存在

作っては壊されるサンタナロッジ。それはその賑わいを妬んだ周辺の人間たちの嫌がらせだった。こういった執拗な嫌がらせを受けるのは、実は賑わいにたいする妬みだけのせいではない。その背後にはインドの階級制度のカーストもまた絡んでいる。サンタナのカーストはバラモンと最高位にある。というのも、サンタナの実家は隣町のクルダにある寺であり、本来ならサンタナもまた僧侶の職に就くはずであったからだ。実際、少年時代は僧侶の手伝いをしていた。本人も、本来なら僧侶になっているはずだったのだが、ちょっとした諍いから家出をしてプリーにやって来て仕事に就き、その延長線上でサンタナをはじめたのだ。

ところが、商業を生業とする階級はカーストではヴィシャ、つまり平民のものである。つまり、サンタナは自分の階級よりも二つ下の職業に就いている。本人の中ではカーストなどはどうでもいいことなので、階級が低かろうが一向にかまうことではないのだが、ヴァイシャの人間からするとこれはよろしくないことになる。階級侵犯であり、人の職業領域を侵犯するとことになるからだ。だからサンタナは執拗に嫌がらせを受けたのだ。

そして現在のサンタナロッジが誕生

もうこうやって場所を転々とするのはゴメンだ。そこで、現在の場所、つまりプリー海岸の北漁民の集落を安住の地に定めた。この地は高僧ビヌゥババが政府から土地を譲り受け、これを貧民たちに解放したところ。ビヌゥババはこの土地を利用する人間に1.土地を売買しない、2.土地を離れる際には第三者に贈与しなければならないという条件を付け、その私有を許可したのだ。これで宿の土地を取り上げる人間はいなくなった。
ただし、土地はあくまで貧乏人用。商業をする場所ではない。だからなかなか客は来なかったし、また、その頃にはヒッピー・ムーブメントもその勢いを失っており、結局ヒッピーのコミューンはここに終わりを迎えるのである。

その後、サンタナは80年代から日本人宿へとスタイルを変え、現在に至っているのだが、今回はヒッピー・コミューンがテーマなので、この話については次の機会に譲りたい。とはいうもののサンタナが創造したヒッピー・コミューンの精神は現在のサンタナロッジ、そして長男クンナが日本で繰り広げる活動にも受け継がれている。(続く)