バイキングスタイルの一般化

ニューヨーク名物、総菜屋デリカテッセンの、日本での普及の可能性について考えている。今回は社会状況を踏まえて分析してみよう。

最近バフェ、つまりバイキング・スタイルの飲食店が増加傾向にあるというのもデリ進出にとっては好条件だ。デフレのお陰で、飲食店は安くメニューを提供する必要が出てきている。そこで、なるべく商品単価を下げるために、メニューを規格化、合理化する。これが結果としてバフェ・スタイルの飲食店の増加を招いているのだけど、デリはこのバフェ・スタイルのコスト・ダウンのメリットを共有する、つまり拝借することができる。

規格化、合理化とは、ひとつはメニュー数を減らすこと。バフェとデリは、この需要に適っている。というのもこれらのスタイルにすれば、用意するメニューの種類を、結果として減らすことができるからだ。その一方で、客の側からすれば選択肢が増えるという矛盾したことが可能になる。というのも、単品メニューの場合には、要するにメニューの囲い込みをやるわけで、店側としてはそれぞれのメニューに応じなければならないし、客の方も料理を一品しか選べないのだが、バフェ/デリ・スタイルなら、あらかじめ決めた種類の料理を並べておけばいい。要するにバフェ/デリの場合、レストランのメニュー表より少ない料理数でありながらも、それのどれも顧客の好みで選べると言うことで、結果として客の方の選択肢が増えるのだ。

また、人件費削減という意味でもコスト・ダウンがはかれる。あたりまえの話だがバフェ/デリの場合は客が自分でドギー・バックに食べ物を放り込むわけで、ウエイター/ウエイトレスが不要になる。「量りでドン」なので、レジでの細かい計算も不要だ。


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(デリの総菜。ここは豆ばっかりのコーナー)

量り売りという差異化

その一方で、デリはバフェと性質を共有しながらも、差異化をはかる要素も備えている。

バフェとデリは”採りたいもを採りたいだけ”という点では同じ。違うのはその量で価格が異なってくる点だけだ。つまり前者は食べ放題、後者は量り売り。ここがミソだ。つまりバフェは否応なくそこそこの料金を払わされる。ランチなら1500円~、ディナーなら2000円~。さすがに、毎日この値段を払い続けるのはツラい。また、毎日バフェでバカ喰いするのも、ちょっとバカバカしい(絶対メタボになる)。毎日やるなら適量を手ごろな価格でということに当然なるわけで、ここでデリの強みが出てくる。ご馳走=晴れ(ハレ)としてのバフェに対する定食=褻(け)としてのデリという棲み分け=差異化が可能なのだ。しかも褻、つまり日常であるゆえに、その利用頻度も高い。

こうやって考えるとデリ展開の日本での可能性は、十分にあり得るのではないか?(続く)