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(写真1:シェラトン・ラグーナ・グアム・リゾートの全貌。立派だが結構老朽化している)


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(写真2:ラグーン。全てがプールのように見えるが、実際に開放しているのはブルーの部分だけだ)


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(この“ちんたら”仕事が、リゾート気分を盛り上げる?)


「おおらかさ」が生む、リゾートにいるという感覚

グアムのリゾート、シェラトン・ラグーナ・グアム・リゾートの不思議な感覚について考えている。ボロくて、メインテナンスもサービスもメチャクチャなのに、結構、快適という感覚がここは味わえたのだが、それはなぜなのだろうか?今回は文化論的な立ち位置でその結論を語ってみたい。

このおおらかなサービス。結局、設備やメインテナンスのヒドさは、気が滅入ってしまう同様の設備の日本やタイのホテルと同じなのだが、この陽気さに見事に僕はダマされてしまっている。言い換えればボロくて、イイカゲンでも陰惨な気分にはならず、彼らと同様、陽気な気分をこちらも維持することができる。だから、この設備にあまり目くじらを立てる気にならないどころか、これをむしろ快適なものとして受け止めてしまったというわけだ。いわば”おおらかさの伝染”。おかげで、このいい加減さに染まることで、かえってリゾートでのんびりすると言うことについては満喫できたのだった。ムードというのは設備やサービスより、これを背後で形成するコンテクスト=文脈=空気が決めていると言うことがよくわかる。

快適かどうかは、利用する側のニーズにもよる

ただし、このコンテクストの要素のひとつには、僕が「何もしないでホテルで原稿書いたり本読んだりするリゾート」というスタイルも含めなければ、当然ならない。これがあるから僕にとっては○なのだ。ところが、これが二泊三日で、毎日アクティブにアトラクションやったり、ごちそう食べたりするスタイルのリゾートだったら、むしろこの雑さ加減で頭に血がのぼるんじゃないんだろうか。事実、前述したようにネットのレビューにはこのリゾートをボロクソに書いてあるもの(「二度と泊まりません」とあった)もあったほど。この人たちは、当然、日本やタイと同じレベルの待遇(価格やグレードのレベルで)を求めるだろう。そして、その立ち位置からしたら、このホテルは完全に×だ。気持ちは、よくわかる。

結論:やっぱり、ここはアメリカ

で、こういうサービスが一般化している文化圏は他にもある。それはアメリカだ。アメリカもまた、だいたいの宿泊施設は、こういったいい加減な設備、メインテナンス・サービスだ。

でも、よくよく考えてみればグアムってのはアメリカだよな。だから、この「どっか~ん」「ばっこ~ん}といういい加減なやり方なのはあたりまえということなのだ。

シェラトン・グアム、また行ってもいいかも。このおおらかな快適さを求めるために