イメージ 1

イメージ 2

(上:二人の出会い。この空き家が後の住み家となる、下:雲を見ながら子供を夢見る二人(映画『カールじいさんの空飛ぶ家』より)

カールがまず求めていたものは「冒険」という名の「保身」

ディズニー=ピクサー映画『カールじいさんの空飛ぶ家』の徹底分析を行っている。そこで、まず主人公カールの、旅を続ける中での心性の変化を追いながら、カールが何を求めてパラダイス・フォールに向かい、結果として何を獲得したのかを分析していこう。

まず、カールが家に風船を付けて旅立った理由は至極単純な理由からだ。家は愛する妻・エリーと過ごし続けた場所。かけがえのない大事な空間。しかしエリーは今やいない。だからエリーの形見としての家を徹底的に守ろうとする。生活のスタイルはエリーが生きていた頃と全く同じ。食卓テーブルは二人が向かい合わせになっているかたちで配置されており、そのまんま。いやいや、家具、装飾の配置まで、室内のあらゆるものがエリーがいたときのままを頑固に保っている。そして、エリーの写真が入った額縁が。つまり、この家はエリーの分身、エリーそのものなのだ。しかし、それが、今やディベロッパーによって破壊されようとしている。

だったら、これを守る方法は一つ。自分が営んでいた風船売りの商品である風船を家に取り付けて飛び立つこと。そしてエリーと目指した冒険の地、南米のパラダイス・フォールへと向かうこと。だから飛び立った。

この「冒険」は確かに常軌を逸した危険、つまり冒険の含意の一つであるベンチャードなものではある。ただし、これは冒険=adventureの他の含意である「何か新しいものを発見しようする」とか「胸おどる体験」というものからはほど遠い。つまり、前向き、未来を指向した冒険ではない。カールが冒険の旅に出たのはやむにやまれぬ事情、つまりエリーとの思い出を破壊されることを避けようとする一念に基づいている。言い換えれば、パラダイス・フォールを目指すことは、そのための「言い訳」に過ぎない。
だからカールにとって物理的には冒険であっても、精神的には冒険であることを意味しない。徹頭徹尾「後ろ向き」で「夢おどることのない」旅なのである。

冒頭のエピソードの正体:その1

そして、これは冒頭十分のエピソードと絡んでくる。実は、あのエリーとの一生を綴ったエピソードこそが、カールを頑固にさせてしまい、家に閉じこもるようにさせたトラウマなのだ。つまり、観客が思わずホロリとさせられるようなメロドラマをカールもまた引きずっている。言い換えれば、あのエピソードは、カールがあのエピソードを回想する度に、彼をより一層頑なにさせていくモノなのだ。さらに言い換えれば、このトラウマに惑わされている限り、カールは決して本当の意味での冒険=Adventureに出発することはできないのである。

しかし、ここに狂言回しの子供ラッセルが絡んでくることで事情は変わってくる。カールは結果として本当の冒険を始めることになるのだ。さて、その「やむ終えぬ冒険」が「本当の冒険」に変化するのはどのような過程を経ていくのだろうか。(続く)