ネタはメディアが持っている

小沢一郎が偉くなったり、政治家が大臣になると不祥事を起こすというのが、実は「メディアの罠」「メディア・イベント」であるということについて考えている。今回は後半。そのメカニズムについて。

素人的に考えると、なんで大臣になったとき、こういった不祥事がバレるのか?とまずは考えるべきだ。で、これは大臣になったとき、たまたまバレるのではなく、大臣になったからバレたのだと考えるとつじつまがある。

つまり、こうだ。こういった政治資金に関する疑惑の一つや二つ、政治家は必ず抱えている。ところが、まだ大臣に就任していないとか、あまり知られていない代議士のうちはこのことが明るみに出ない。というのも、たまたまメディアがそのことを明らかにしないからなのだ。いいかえれば、まだメジャーじゃない頃からメディアはすでにこのスキャンダル/疑惑を重々承知なのだ。要するに、ネタはつかんでいる。しかし、敢えてネタにしないのである。なぜか。

それは、そのままではまだ熟成していないネタので、美味しくないからだ。つまり無名のうちに、こういったスキャンダルをぶち上げてもスクープにはならない。だったら寝かせておいて漬け込み、この政治家が大臣になったり、有名になったり、ビッグになったときに“スクープ”“すっぱ抜き”として報道すれば、新聞や雑誌なら販売部数が稼げるし、テレビなら視聴率が取れる。それを抜いた記者は「特ダネ」をつかんだと言うことになるわけだ。

こんなバカなことをやっていると、ヤバいかも

しかし、こうなるとすごくヤバイ感じもする。有名になった瞬間、引きずり下ろすなんて作業をやり続ければ、結果として政治は空転する。委員会は疑惑追及をやる場所にもっぱらなってしまうからだ。で、そういうことを仕掛けているのは、実はなーんにも考えていない、いや自分の利益だけを考えているメディアということになる。つまり、こうなると政治を傀儡化させているのはメディアのせいと言うことになるのだが。

どーにかしてほしいとは思うのだが、メディアの報道記者というのはさっきも言ったようにほとんど何も考えていない「締め切りこそ全て」という人間ばっかりなので(あと俗世間的な成功を望んでいるだけね)、これは延々続くんだろう(余談だが、メディアから大学職に異動してくる人間(論説員とか)のほとんどは「研究できない」「理論が解らない」「調査技法を知らない」「教育のやり方が解らない」それでもって「政は好き」という困ったちゃんだ。まあ、それまで、ここに書いてきたようなことしかやってこなかったんだから、あたりまえなんだろうけれども)。

これを見ているこちらとしては、こういった政治的スキャンダルが、実に不自然でメディア・イベントであることを見抜くメディア・リテラシーを身につけておく必要だけは、あるだろう。

こんなアホな図式は、芸能レポーターが有名芸能人宅でインターホンを鳴らし、それを映像で流す行為とほとんど同じレベルなんだけどなあ~。