時代が康を追い抜いていく?

イカサマ的なイベントを繰り広げ、戦後世代の意識を混沌に陥れ、そして活性化させた昭和の興行師・康芳夫。だが、最近、康が派手なイベントを展開したという話を聞かない。事実、康の香具師としての顕著な業績は猪木-アリ戦を最後にぷっつりと途切れてしまっている(『虚人のすすめ』でも、語られているイベントはここまでだ)。それはなぜか?それは、やはり、時代性を踏まえことで明らかになってくる。

その後、メディアは次々と情報チャンネルやソースのインフラを整備し、これらを使いこなすようになった人々たちが、次第に情報を相対化して捉えることを学んでいくようになる。つまり情報を易々とは信じ込まないような心性が身についていく。

その一例を挙げれば八十年代に入り、たとえばテレビの漫才ブームの中で「相対化の笑い」がある。この時期登場したお笑い芸人やユニット(現在のたけし、タモリ、紳助、さんまなど。ただしタモリは漫才ブームで登場したのではない)は、明らかに「笑いを笑う」というメタ的な笑いのスタンスをとる芸を繰り広げたのだ。たとえば春やすこ・けいこというユニットは、アイドルがアイドルを演じているという事実を徹底的にパロディにして見せた(ここから、たとえば松田聖子に「ブリッ子」というあだ名がつけられるようになった。松田聖子は「アイドルを演じている」と見なされたのだ)。また太平サブロー・シローに至っては、大御所のお笑い芸人のパロディを「古くさいもの」として演じるという禁じ手すら見せたのだ。
こうなると康のやるような素朴なスタイルで客をペテンにはめるようなやり方は、通用しづらくなってくる。多元的な価値観を備えるようになったオーディエンスが、それを「ウソ」とわかってしまうからだ。

テリー伊藤の「見え見えのナウ」

そんな中、価値観相対化の笑いを徹底的に推進、展開して見せたのが康の弟子であるテリー伊藤だった。テリーは日曜八時からのバラエティ番組「天才たけしの元気が出るテレビ」の中で、康がやって見せたようなイカサマを次々と展開して見せた。浦安フラワー商店街の復活プロジェクト、大権現(巨大な権現が突如として動き出し鎌倉に行進するプロジェクト)などがそれで、テリーの展開する企画は康が繰り広げたイカサマ・プロジェクトのほとんどコピーというか、そのものだったのだ。

ただし、テリーの場合は康と異なりオーディエンスがメディア・リテラシーを上昇させていること、価値観相対化が進んでいることを踏まえた上でのイカサマの展開だった。つまり、この企画を見ている視聴者たちはこれが真っ赤なウソであることを知っている。だからハナから信じてなどいない。見え見えのウソと認知している。テリーはそこに目をつけた。

それは、これをウソと知りつつ、このウソにつきあうことで楽しんでしまおうというスタンスを視聴者に準備することだった。いわば、送り手=テリーと視聴者がグルになって、このウソを実現させるという感覚をもたせるのだ(もちろん、これも「そのように思わせる」という巧妙な仕掛けが組まれていたのだが)。こうやって、テリー伊藤は康の考えたイカサマを時代に合わせて進化させて見せたのである。こういった、ウソをウソと知りつつそれを送り手受け手が一体となって楽しむ感覚を社会学者の稲増龍夫は「見え見えのナウ」と読んだ。そして、視聴者=受け手=消費者は、制作者=送り手=生産者の視点を併せ持つとされ、生産者=プロデューサーと消費者=コンシューマーを合体させたプロシューマーと呼ばれることになる。

さらに進化するイカサマ技術とオーディエンスの相対化感覚

テリー以降、こういった怪しげな展開をパロディとして楽しむというスタイルはどんどん一般化していく。それはテリーの弟子である土屋敏男の”すすめ電波少年”であったり、現在も放映されている”サンデー・ジャポン”,であったりするのだが、こういった「元気が出るテレビ」の後続は、さらにこの感覚を一般化させ、もはや手法の一つとして定着した感がある。

で、こうなるともはや康芳夫の出番はない。そう、康のやり口は、後続によって踏襲され、オーディエンスによって消費し尽くされてしまったのだ。

次の虚人は登場するか?

では、康のようなトリックスター=虚人は今後登場する可能性はないのではなかろうか?……いや、そんなことはないだろう。もっともっと手の込んだやり口で人々をペテンにかけることにロマンを感じる人間は登場するはずだ。

ちなみに、その最たる存在は小泉純一郎であり、新庄剛志であり、東国原英夫である。彼らはテレビがすっかり相対化されたメディアでありながら、それを逆手にとってさらに新しい手法で国民全体をペテンにかけることに成功している。もっとも彼らが康の言うところの「虚人」であるかどうかは定かでない。カネ以外に何らかのロマンを抱いているかどうかは未知数だからだ。

康芳夫の『巨人のすすめ』、是非手に取ってみてほしい。