「ほとんど文章では、ない」というものを書く学生たち

いや、ヘタである。本当にヘタである。大学教員ゆえ、日がな学生の文章をチェックするという仕事をヤラされているのだが、これが、もう大変!誤字脱字なんてのはまだいい方で、全く誤った語彙の使用法(例:「とうとう煮詰まってしまった」、これは「行き詰まった」が正しい)、文法の誤り(例:「社会学の本は、彼女が本屋で元気に声をかけてきた」文章の係り結びが破綻している)、表現の重複(例:「腰が腰痛で痛い」)、文章構成の無策(例:1200字詰めのリポートが一段落構成)、無礼千万な表現(例:「この内容については長くなるのでめんどくさいし、先生も知っていると思うので省略します」)など、とにかく学生たちの文章の酷さは呆れるのを通り越して、もう笑ってしまうしかないという状況にまでなっている。

とはいうものの発想力とか想像力がないというわけではない。喋らせれば結構おもしろいこと、キラりと光る表現をしたり出来たりはする。だから決してバカというわけではないのである。だから表現力が貧困と言うより、これを文章化する能力が貧困と考えるべきだろう。では、なんでこんなにヘタになってしまったんだろうか?

言語力衰退の原因はメディアのせい?

言語力という言葉がある。これは自らを表現する力を指すのだそうだが、これがどんどん弱体化しているのだそうだ。このことを2009年11月25日のNHK番組「クローズアップ現代」が特集していた。そしてその原因を識者と呼ばれる学者たちが説明している。たとえば家庭で、子どもたちがゲームやネット、テレビなどのメディアに接し、直接的なコミュニケーションが失われてしまったために表現力を失ってしまったのであるとか、ケータイ・メールばかり使っていておかげで文章が短くなり表現力が乏しくなったであるとか。

こういった、モノのイイ。例によって僕はちょっと眉唾っぽくおもってしまうのだ。というのも、子供に何か変化が起きたとき、必ずといっていいほどその張本人にされるのがメディアだからだ。つまり上の例だとゲーム、ネット、テレビ、ケータイ。かつてテレビが普及し始めたときノンフィクション・ライターの大宅壮一がテレビを批判して「一億総白痴化」と表現したことがある。つまりテレビばっかり見ていると人間はだんだん想像力と思考力を失い、バカになると警鐘を鳴らしたのだ。ところが実際にはそうはならなかった(まあ、ある程度そうなったと言えないこともないかもしれないが……)。

またメディアに接すると対面的コミュニケーションがなくなるというパターンもほとんど聞き飽きた俗説だ。これまた例を出してみよう。ケータイが普及し始めたとき、メールばっかり使うのでまともな関わりが出来なくなっているという指摘があったりした。ところが、実際の調査ではケータイ・メール使用頻度が高い子供ほどコミュニケーション能力が高いというデータが出ているのだ。だから、必ずしも、この俗説はあたっていない。

とにかく、なにか困ったことが発生したときには、とりあえず新しいメディアのせいにしてしまうと言うのが常套パターンなのだが、今回もやっぱりこれをやっているように僕には思えるのだ。じゃあ、下手になった原因は何なのか?(続く)