ラジオをホットメディアと定義したマクルーハン

すでに述べてきたようにマクルーハンはラジオをホットメディアと定義している。これはおそらくマクルーハンがラジオのニュース番組あたりを想定しているからではないかと僕は踏んでいる。ラジオニュースの場合、当日発生した事件や出来事がひたすら論評抜きで読まれるだけ。しかもその語り口はクリーシェ、つまり定型でてきている。だから、こちらとしては意図的に介入しない限りは、ニュースを聞いてクールになるということはない(ニュース速報は例外)。

ただし、ラジオのコンテンツはニュースだけに限られるわけではない。娯楽的要素を含んだ番組もある。そして僕が出演した番組はその手のたぐいのものだったのだ。

ラジオ・ジャムセッション?の様子

ラジオのコーナーは十分程度と予定されていた。もっともこれは番組のメインを仕切る川野アナウンサーの意向でどうにでもなるらしい(結局伸びたのだけれど)。話題は衆議院選とこれにまつわる東国原知事の動向。ちょうど東国原シアターの幕が下りた直後だった。

で、川野アナはとにかく、ある意味適当に場を仕切りながら、その場の雰囲気で話を右に左に展開していく。ただし、そこはプロ、最後の着地点についてはしっかり押さえているので、完全にあらぬ方向に向かい話がメチャクチャになると言うことはない。一方、もう一人の若手女性アナ・迫田アナは川野アナの、このややもすると強引な展開に相づちを打つ役割。これで川野アナの一見迷走じみた展開にビートが刻まれ、一定のリズムとバランスを形成している。そして、僕はこの番組をジャムセッションと表現したが、まさにここでは各パートがジャムしていた。川野アナはリーダーとして(しかもかなり独裁的な)ソロを取る。これに迫田アナの堅実なビート、言い換えれば控えめなベーシストとしてのタイムキープがなされているわけだ。こうすることで番組=サウンドはギリギリのところで体裁を保っているわけだ。

そこに、僕が加わる。いわばゲスト・プレイヤー。でも、ジャムセッションである。だから、楽譜を見ながら演奏したのでは、これはドッチラケだ。ジャムセッションの醍醐味であるインタープレイは感じられない。それどころか、周囲がノリノリでやっているときに一人だけ棒読みみたいなことをやったなら、マヌケということになる。だから、用意していた原稿を放り投げ、これに加わろうとしたわけだ。もちろん、原稿に用意していた内容を話さなかったわけではない。用意していたものはモチーフとしてアタマの片鱗に残しておき、二人のアナとのインタープレイのなかで、こちらのアドリブとして適時提示していくことになったのだ。

こうなると「おもしろい」。三人の間で話題はあっちこっちに飛ぶが、そこにビートが生じ、集団思考的な空間が生まれる。ただし、前述したように、川野アナのリーダーとしての裁き、つまりコーナーをまとめるという感覚=技量(もはや身体化されている)が、アンサンブルを奏で、そして曲の構成を成立させる。事実、ちゃんとオープニングとエンディングには「テーマ」(僕の新刊の売り込む含む)が演奏されていた。


クールなラジオ空間のしくみ

ここで発生していたことはラジオが、少なくとも送り手側としてはクールなメディアとして機能していると言うことだ。それぞれがどんなアドリブを飛ばすかわらない。それに刺激を受けつつ、こちらもアドリブで返す。すると相手もまたこれにインスパイアされる。先の見えない、それでいてバランスのとれたクールな空間がそこに出現しているのである。

さて、こういった、いい意味、脚本なしのいい加減な番組を仕組んだのは、実は川野アナではなく、番組を構成しているディレクターだ。彼の仕込みは「ナマを生かした、限りなくいい加減な番組」というところだろうか。もちろん、どうでもいいから「いい加減」なわけではない。マジメに、徹底して「いい加減」にすることで、ラジオ生番組をジャムセッションにしてしまおうという、かなりチャレンジングなたくらみなのだ(僕が呼ばれたのも、この「いい加減さ」がある人間だったからなんだろう)。自画自賛っぽいが、このたくらみは、今回は成功したのでは無かろうか。

もっとも、MRTはTBS系のマジメな局なので、その番組はきちんと台本がつくられていて、それに従って黙々と進行する、つまりホットに徹するというのが基調(東国原知事が出演する番組はいずれも木っ端微塵に番組を潰されてしまう。あの男はアドリブだけの人間だから、脚本が無視されてしまうのだ)。だから、彼のたくらみはかなり理解されていないらしい(本人談)。要するに彼がやりたいのは、ちょっと専門筋で説明すると70年代前後にマイルス・デイビスが試みたエレクトリックジャズ(通称”エレクトリック・マイルス”)の手法と同じだ。ミュージシャン=パーソナリティが、それぞれの力量に基づいて「よーい、どん」で時間を仕切って集合表象を作り上げる。僕は、凄くおもしろい、スリリングな試みだと評価するが……(ただし、それぞれのプレイヤーは、それなりに力量とコミュニケーション能力が必要)。ディレクターの O君(実は、僕の教え子です)、クビにならない程度に頑張ってください。