まるで殺人犯という扱いの草彅君

二十三日未明SMAPの草彅剛が酒に酔ったあげく、公園で全裸になり公然わいせつ罪で逮捕されたことは、センセーショナルな事件としてメディアは一斉に報道を行った。それは芸能番組という枠をはるかに飛び越え、一般のニュースでも大々的に報道されるという状態。いや、謝罪の会見に至っては NHKが夜九時のニュースをぶち抜き生中継を行ったほど。各紙もトップで報道。もちろん草彅剛という人間が芸能人でもトップレベルの人気者であることは理解できるが、それにしてもこの扱いは尋常ではない。それはさながら「殺人犯」的な扱いなのだ。何でこんな報道がなされるのだろうか?今回はこれを考えてみたい。

この事件の事実関係をまず押さえると

まずこの事件(騒ぎ?)の骨格を押さえておこう。つまり、この事件が草彅剛というタレントではなく、一般の人間が行った行為として考えてみる。

夜中泥酔したあげく、記憶を失い、おそらく自宅と勘違いするような状況で全裸になった。そこに警察がやってきて保護しようとしたら抵抗した。そこで、全裸なのを理由に公然わいせつ罪のかどで逮捕に至った。

一般的にこういったことが発生したときに警察側はどのように扱うだろうか。まず、よっぽどのことがない限り、逮捕には至らないだろう。ようするに「酔っぱらい」。前後不覚に陥っているわけで犯罪性は一切ない。だから、多少抵抗したところでも押さえつけ「保護」という形で署に連行し、一晩留置し(トラ箱に)、酔いが覚めたところで調書を取って、説教して終わりである。しつこいようだがたかが「酔っぱらい」。こんなアホなことは平気でやるなんてのは十分想定できるはずだからだ。つまり、行為としてはまったくもってどうでもいいこと。そして、一般人でも場合によっては起こしてしまいそうなこと。さらに珍事件ではあるが犯罪と言うにはちょっとお粗末すぎる内容でもある。

どうでもいい事件に次々と尾ひれがつく

ところがこれにいろんな文脈がついてくると話は変わってくる。まず、ことの始まりは空気を読めない警察が草彅を「公然わいせつ罪」で逮捕してしまったこと。全裸になったのだから理屈の上では正しいのだが、はっきりいってこの辺は「酔っぱらい」ということを踏まえなければいけない。通常はその場での情状酌量が行われ、こんな罪状がつけられることは、まずない。

ところが、そうはしなかった。そして「わいせつ」という性的にあやしいイメージがこれに付与された。つまり、ややもするとこの人物は変態ではないのか?という懸念だ(おそらく、そんなことはまず間違いなくないのだろうが、そういうふうな勘ぐりをしたくなるし、すれば話はおもしろくなると言う「野次馬」性もある)。

で、この公然わいせつ罪をやったのがタレントである、しかもかなりセレブな。こうなると騒ぎとしてはより大きく扱うとおもしろい。だから大きく報道しようとした。

草彅だから話が大きくなる

さらに、これにもう一つ、それをやったのが「草彅剛」であるということが重要だ。たとえば同じSMAPの中居正広がやったとしたら、これほどまで大騒ぎにはならないだろう。中居はやんちゃ坊主なキャラクターという位置づけがなされている。だから「おバカが過ぎた」という文脈で語られるだろう。

ところがこれが草彅だとまるっきしイメージが変わってくる。彼のイメージは「いい人」「まじめ」「誠実」であり、こういった「変態的なイメージを彷彿とさせる行動」をとる人間から一番遠いところにいる存在に思えるからだ。メディアで使い古された言葉に「犬が人をかんでも事件にはならないが、人が犬をかめば事件になる」というものがあるが、草彅の場合にはこれがぴったりと当てはまる。逆に言えば、この報道を知らされた側は「なんで、あの草彅君が?」とイマジネーションが喚起されるわけだ。そして、絶対やりそうもない人間がやった場合には、解釈も極端のものに変わっていく。つまりこの隙間を埋めるために出てくる解釈は「実は、彼は変態ではないのか?」

こういった要素が積み重なって、たかが酔っぱらいの騒動が、さながら殺人事件、テロごときの大々的な報道となってしまったというわけだ。そう、だからさながら草彅剛は「殺人犯」、イヤそれ以上の扱いをされてしまったのである。これで草彅剛はもう終わり?(続く)