外食産業の歴史になぞらえると……大食堂が復活した?
2008年12月10日から8回に渡り「食と情報」というタイトルでブログを連載したが、最後に、ここで展開されたレストランの歴史になぞらえながらTDLの現在の状況を説明してみよう。このブログではかつてデパート最上階にあった大食堂がお好み食堂やファミレス化し、さらにディズニー化したことを指摘しておいた。つまり、食に対する嗜好の多様化に従って、ごった煮的な大食堂は個別化したニーズに対応できないため姿を消し、それが最上階のお好み食堂(大食堂を細分化したもの)や国道沿いのファミレスに変化した。さらに、一層、嗜好が多様化することで今度はレストランがテーマパーク化していったと述べておいた。
さて、現在のTDLだが、僕はこの延長線上に現在の姿があると考えている。それはごった煮である大食堂の復活、逆戻りである。ただし、大食堂はべらぼうに大きな巨大食堂と化し、メニューも数万品に及んでいるというのが、全く違うところなのだが。
このメタファーは、つまりこういうことだ。TDLには、メニュー、つまりキャラなどの「萌え要素」が膨大にあり、それぞれの好みに応じてそれを選ぶことが出来るようになっている。しかも家族総出でやってきて、かつそれぞれのお好みが違っても大丈夫。それらすべてを品揃えしているのがTDLという空間なのだから。そして、もちろんそこには「巨大食堂」というメタ的な、物語ともいえないような包括的な物語=データベースがあるに過ぎない。ゲストたちは空間を共有しながらも、各自がバラバラにTDLを楽しむことが出来るのである。それでいて一つのテーブル=ディズニーランドを囲んでいるのだから、ディズニーのコンセプトであるファミリー・エンターテインメントはしっかり踏襲されている。みんなバラバラでも連帯しているという状況が作られているのだ。
当然ここには、25年前には存在した物語は、もう、ない。こういったポストモダンの最先端の環境こそがTDLであり、そこにやってくるのがこれまたポストモダンの最先端に位置する俺様化するゲストたちだったというわけだ。そこでゲストは思い思いにその欲望を満たすのだ。反面、他人のことなど、そしてもちろんディズニー世界のことなど、お構いなしである。
TDLは僕にとってはもはやディズニーランドではない
さて、最後に個人的なツッコミを一言。僕はこんなディズニーランドはまっぴらごめんである。そこには物語の重層性なんてのは一切ないし、歴史や文化の積層が放つアウラも存在しない。関連性のないべらぼうな情報からなる、のっぺりとしたモザイク的データベースがあるだけだからだ。90年代から続けられているエレクトリカルパレード・ドリームライツは、かつてのこの物語=ナラティブを踏襲したパレードで(フロートごとに物語が設定されている)、これを見るとホッとするが、反面、もはやTDLのこのポストモダン状況からすると古びていて、違和感すら感じてしまう。僕にとってはホッとするものだけれど、ポストモダンの俺様ゲストには「おしつけがましいもの」、つまりノイズにしか見えないのではないか。
皆さん、ウォルトをディズニーの世界をみたいと思ってTDLに出かけても、そこでその世界を見ることは出来ません。そこはTDLという萌え萌えオタクランド。現代の情報化社会に生きる日本人にぴったりの亜空間なのです。だから、こういった期待を決して抱かないこと。
じゃあディズニーの世界を見たければどうすればいいのか。カンタンです。アメリカ・アナハイムの本家ディズニーランドに行けばよいのです。あそこは徹底した物語と歴史、文化が積層された世界。ウォルトがちゃんと、あそこでは生きていますよ。
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