「われわれ」

団塊世代の功績は消費を媒介として「ヤング」というヴァーチャルな世代コミュニティを立ち上げたことにある。故郷を離れ足場をなくした若者に、ヤングという言葉はアイデンティティの拠り所を提供した。それはいわば「われわれ」という仲間意識。そう、学生運動の演説の冒頭に必ず切り出された、あの言葉だ。

「君と僕」

だが、この「われわれ」意識は、意外に早く衰退する。70年代前半、学生運動の嵐も過ぎ、若者は私的生活への関心を高めていく。フォークソングは当初、「われわれ」による反体制のプロパガンダだったが、やがて「君と僕」「彼と彼女」の私的な関係を歌う四畳半ソングへと転じていった。

「私」の消滅

八十年代になると、この私化に拍車がかかっていく。今度は「君」が外され文字通りの「私」へと意識がシフト。何よりも私が輝いていること、イケていることが最優先事項となるのである。ここで事実上、世代意識=ヤングは消滅。残ったのは消費とメディアを環境とする生活だった。

そして21世紀。若者はいっそう意識を細分化させている。私=個ですらが細分化され、ノリや感情にまかせるままに様々なものに志向するようになったのだ。だから、自分もなぜそれに意識が向かうのかわからない。これが「萌え」という行動。それは「自分が若者」という意識の完全消滅でもあった。

だから団塊の皆さん。もし、いまどきの若者と意気投合したと思っても、自分の感性が若いなどと思ってはいけません。それはたまたま波長があっただけ。ヤングは消滅したので、彼らもジジイ。自分を若者とすら思っていないのだから。(神奈川新聞2009年4月20日掲載文)