本家DLの倍以上もする年パスを多くのゲストが買い求める
一方、年間パスポートだが、具体的な年月については記憶が定かではないが、これは元はといえば80年代後半、何かを記念して一年だけの限定と言うことで設定されたものが、その後システムとして取り入れられたもの。これを、かなりの客が購入した。とりわけ周辺(たとえば浦安市)の住民などが買い求めた。で、近隣人口五千万と年間パスポートの発行という二つの条件が重なって東京ディズニーランドはリピーター率がどんどん上がっていった。ちなみにそれに乗じて年パスの料金もどんどん上がっている。当初は30000円程度だったものが、現在では45000円。これだけ年パス所有者が多いと、単価をあげなければ儲からないからだ。ちなみにアメリカ・アナハイムの年パスはディズニーランドとカリフォルニア・アドベンチャー二つのパークに出入り自由で(その他特典もたくさん)170ドル程度でしかない(近隣住民だったら134ドル)。年間駐車料金込みでも370ドル程度だ。言い換えると、年パスを利用するゲストが本家の場合は非常に少ない。だから、こんな廉価な設定が出来るというわけだ。これを東京ディズニーランドでやったら大変なことになるだろう。
そして、気がつけばパーク内には年パスをぶら下げて闊歩するゲストがたくさんということに。当然、このゲストたちはしょっちゅうパークにやってくるわけで、次第に認識も変わってくる。つまりディズニーランドが非日常から日常へと転じていく。「あこがれの地」は「近くの公園」に成り下がるのだ。
東京ディズニーランドという独自のディズニーランドが出現
ディズニーランドがカジュアル化するもう一つの原因である「海外のカジュアル化」もディズニーランドの「近くの公園化」「非日常の日常化」に拍車をかけることに。海外旅行などあたりまえ。また海外をイメージさせる風景もあちこちに出現している。それどころか、今やディズニーの「テーマ性」というコンセプトを踏襲した施設が乱立。店がジャングル風だったり、昭和レトロ風だったり、ファクトリー風だったり、まあどこもかしこもテーマパークになり(A.ブライマンはこれを社会のディズニー化=Disneysizationと呼んでいる)、もうテーマ設定などあたりまえ。これらに慣れきってしまい、ここに華やいだ雰囲気も外国(欧米)のイメージも人々はさして抱かなくなっていったのだ。それは言い換えればありがたいディズニーランド、拝むディズニーランド、コンセプトにひれ伏すディズニーランドという認識の終わりでもあった。こうなると東京ディズニーランド、そしてそこを訪れるゲストはこの空間を自由にカスタマイズし始める。当初のディズニー側の理念、つまりウォルトのコンセプト=スピリットをさしおいて、日本独特のディズニーランドのスタイルが生まれ始めたのだ。それが、実は「俺様化するゲスト」を生んでいく温床となったのだ。では、俺様化するゲストの心性はどのようなものか。?(続く)」
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