虚実ない交ぜの芸

やすしきよしの全盛期は横山やすしが不祥事を起こす時期と結構、重なっている。やすしという人物は思いこみの激しい性格だったらしく、その妥協のなさ、融通の効かなさで、たびたび一般人とケンカをしたり、メディアとぶつかったりしていたのだが、漫才の中ではこれをネタとして頻繁に取り込んでいた。で、この不祥事がネタの中に現れたとき(ネタを振るのはもちろんきよしの方だ)、やすしはこれに恥じるどころか、事件それ自体をさらに枝葉をつけながら大仰に語ったのだった。だが、このしゃべくりはネタなのか、本人が「やんちゃ」という視点で好き勝手なことをしゃべっているのか、ほとんど解らないというようなものだった。もちろん、ネタそれ自体は台本に書かれていた(やすきよのネタはアドリブのようでいて、その実そのほとんどが台本に書かれていた)が、やすしの語りは、とっくにネタの域を超えていて、それがネタであっても、事件時にやすしがやっていたと思われるパフォーマンスがそのまま再現される(もちろん、笑いをたっぷり加えたかたちで)という感じにしか思えないようなものだったのだ。こういった狂気に、オーディエンスは少し恐ろしい気がしながらも魅了されていたのだ。

やすしにとってネタとは笑いを誘うための呼び水でしかなく、本当の笑いはこのネタをダシにパフォーマンスを繰り広げるところにあった。言いかえるとネタなんかハッキリ言ってどうでもよかったのである。この辺が、現在の若手のネタ依存の芸とは全く違うところだ。

やすしは朝から晩まで稽古していた?

では、こういったノリノリの究極の芸をやすしはどこで学習=稽古していたのか?もちろん、やすしはきよしのいうような意味での稽古=練習は嫌い。だから、実際、やっていない。では、あの芸はどこで培われていたのか?

やすしという人間は破天荒で、まったく抑制といったものが効かないキャラクターだったことはよく知られている。それは言いかえれば一本気な性格、曲がらない性格ということでもあり、裏表がないということでもある。そして、この性格を漫才の芸に流し込んだら……なんのことはない。朝起きてから寝るまでひたすら漫才のことを考えているということになるだろう。つまり、やすしは一日中、いや人生をかけて芸を磨いていたのだ。より厳密にいえば、やすしにとって漫才は「仕事」ではなく「人生」「生活」それ自体だったのだ。これはモダニストであり、漫才を「仕事」「出世の手段」とみなしていた相方のきよしとは見事なコントラストをなしている。だから、きよしにはやすしが「仕事としての漫才」をしない人間に見えたのだ。

しかしながら、やすきよというのは「漫才を人生とする人間」を「漫才を仕事とする人間」がコントロールすることで初めて成立する漫才コンビ。やすしの狂気をきよしの正気が制御することで成立したもの。だから、きよしという暴れ馬=野獣にはこれを押さえられる強力なモダニスト=西川きよしの存在がなければ成立することがなかったものでもある。事実、きよし以外にやすしの相方を務められる人間など存在しなかったのだから。しかし、この関係は、それでも長くは続かなかった。(続く)