「まなざし」としての旅

イギリスの社会学者J.アーリはメディア論と現代思想(フーコー)の視点を持ち込むことで、観光学という分野に新たなパースペクティブを提示した研究者として知られている。彼によれば、観光というのはすべからく「まなざし」であるという。そこが観光地になる正当な根拠などなく、誰かが観光地と決めて、それらしいものを用意したり、勝手に「これは観光的にすばらしい」とかでっち上げてしまえば、そこは観光地になってしまうという、「由緒正しい観光地」を自称する人たちからすれば噴飯ものの議論を展開している。とはいっても、これじゃなんだか解らないので、具体例を挙げて説明してみよう。ちなみに、ここからの展開は社会学者・山中速人の研究を参考にしている。

究極のでっち上げパラダイス・ハワイ

ハワイのイメージを浮かべてほしい。常夏の島、フラダンス、アロハ、ハワイアンなどなど。実はこれが二十世紀になってから作られたものであることは、観光人類学ではもはや定番の議論になっている。

もちろん「常夏の島」にはあたりまえだがウソはない。問題はそのあとの項目だ。まずフラダンス。これはちゃんとフラと呼ばれるダンスが元々存在した。われわれがよく知っている、手を横にのばして、腰をゆっくり動かして踊る優雅な踊りがそれだ。しかし、問題は服装。女性がブラジャーに腰蓑つけているわけだが、これが全くのインチキ。19世紀のハワイはキリスト教文化が普及していた。キリスト教の教えは当然「禁欲」。当然、諸肌を見せるなんてことは許されない。だから、当時の人たちは衣類を全身にまとった状態(上着も長袖)でフラを踊っていたのだ。

次、アロハシャツ。これ、実はある意味「日本製」なのだ。19世紀終わりから日本人のハワイへの大量移民が始まっていく(その中心は沖縄出身者だった)。彼らが衣類として所持したのは和服。しかしこれは暑い。着ている場合じゃない。そこで生地を裁断してシャツに変更、それがアロハシャツとなったというのが定説だ。つまりアロハシャツの柄は元々和服のものだったのだ。

そしてハワイアン。ウクレレとスラックキー・ギターを用いたそれは、南国ムードたっぷりだが、これもまた二十世紀に、ある意味輸入されたものだ。


つまり、われわれが抱いているハワイのイメージは徹頭徹尾、二十世紀に入ってからのでっち上げであり、百年前のハワイへタイムマシンで行ったら決してみることのできなかったものなのだ。

ハリウッドのビジネス戦略としてのハワイ

じゃあ、なぜこんなでっち上げのイメージが作り上げられたのか。それは実はハリウッド映画の戦略だったのだ。

あたりまえの話だが、映画は客を呼ばなければならない。そのためには何でもやる必要がある。つまり芸術性とか道徳性なんかよりも、商業性が問われるわけで、そのためには形而下のもの、つまりひたすら興味本位とか、人間の直接的な欲望に訴えるようなネタを持ち込んでくる。その三大要素はスペクタクル、死体、そしてハダカだ。で、このうちのハダカに目をつけたのだが、アメリカ(そして映画のマーケットであるヨーロッパも)の宗教は、19世紀のハワイと同様(というか、当然こっちが先だが)、キリスト教。キリスト教の教えは、さっき書いたように禁欲だから、ハダカなんか映画で映したらエラいことになる。でも、やっぱり見たい。なんとか、ハダカを映像化するいいわけはないか?そのとき、ハダカであることの正当化として考えられたのが、南国を舞台にすることだった。南国は暑いからハダカ、つまりハダカでいることに必然性がある。そこで、ハワイを舞台とした映画が作られ、そこに女性のハダカを用意したのだ。それが腰蓑にブラジャーというスタイルだった。ちなみに、当時の映画はこの格好でフラを踊る女性が大量に出演しているのだが、その真ん中に位置したのがハリウッド女優、しかも白人だった。なんのことはない、観客に見せたかったのは、この女優のハダカだったのだ。そして、背後にいる一般のハワイ人はアロハシャツ。映画のバックに流れるのがウクレレとスラックキー・ギターによる音楽になった。

しかし、映画はべらぼうな数の人間がこれを見る。一方、ハワイに行ったことのある人間なんてごくわずか。となると当然、ヴァーチャルのイメージのほうが、一般大衆の常識的イメージになるわけで、だったらこのイメージに合わせてハワイをでっち上げてしまえば、ここに客を呼ぶことができる。で、結局、このヴァーチャルなイメージに基づいてハワイは「創造」されてしまったのだ。(続く)