公共心溢れるポルトガル人

ポルトガルが、いやポルトガル人が人格的に美しいことを報告している。今回は後編。

ポルトガル人を観察していて、いちばん感動的だったのは、その多くが、まず「相手の立場に立つ」というスタンスができているところだ。例えば横断歩道を渡ろうと、その前に立つ。で、クルマが横断を待っている人間を見つけた場合、これまた100%の確率で停車し、人を横断させるのである。列を作っているのも同じ。きちんと一列になった、決して割り込んだりはしない。いやいや、急いでいるような人がやってきた場合には、率先して順番を優先してくれるという気の使いよう。日本人がよくやっているような列争いでのいがみ合いなんてのは、ここは全く関係なしの環境なのだ。

また、街では必ずと言っていいほど見知らぬ人が挨拶をする。ちょっとしたことでもコミュニケーションを図る。とにかく、街角で人が話をしている。これが老若男女関係なく、そのあとにはお互い握手、これである。

また、こんなこともあった。なんだか知らないが地下鉄に乗ってきた太ったバアさんがキレていた(ポルトガル語がわからないので内容は把握できなかったが)。すると、このバアさん、近くの人に(もちろん、見知らぬ他人)、その鬱憤を大声でしゃべりはじめたのだ。すると、たまたま乗り合わせていた乗客が、その話を聞いたのだ。で、なんと相づちまでしている。で、これがしばらく続くことで、このバアさんは気分がおさまり、やっと落ち着いたのである。いやいや、この「話を聞く」(正確には「話を聞いたフリをしてあげる」だろうが)という配慮で、バアさんの癇癪はかなり短い時間で済んだはず。だから、婆さんもスッキリ。がなり立てる状況を長々見させられることもなかった乗客もスッキリといったところだろうか。地下鉄内はふたたび静寂な空間に戻ったのだった。

日本にはなくなってしまった、こういった公共心、愛他心といったものが制度的にしっかりと生きている国。僕は、そのことを称して「美しい国」といいたかったのだ。12日間滞在したが、とにかく嫌なことに一度も会うことがないという画期的な自体を、僕は旅人生の中で初めて経験した。これはビックリである。

EUの劣等生ポルトガル、でもこれでいいのかも

しかしである、よくよく考えてみればポルトガルはEU圏の中でも経済的には劣等生。つまり経済的な保護を受けているという立場にある。産業の中心は農業や水産業、あるいはフランス、ドイツ、イタリアから進出してきた自動車工業(もちろん、所得の低さが魅力だったので進出したのだろう)なわけで、どうして民心が荒れたりしないのかちょっと不思議な感じがしないでもない。ちなみに治安もまた抜群である(あちこちに落書きがあることを除いてはだが)。夜中街をブラブラしても不安な感じは一切ない。というか、多くのポルトガル人が街を夜中にブラブラしている。

これは憶測でしかないが、このポルトガルの「人の美しさ」は、やはりヨーロッパという文化・伝統を引きずっていることにまず起因すると思う。とにかく、仕事が丁寧。誰も手を抜かないし、あちこちキレイにしている。公共トイレはどこも清潔。そして街の美観を維持するために、一般市民が気をつかっていることもよくわかる。これは数百年、いや千年以上に渡る文化が人々の身体に刻印された習慣=スタイルだろう。

そして、さらにもう二つあると僕は考える。一つは、仮にヨーロッパであったとしても、フツー、こんなには人は美しくはない(EU諸国はどこも大変長い文化と歴史がある。だから長いだけではこの特異性は語れない)。ポルトガルの場合、南欧的なおおらかな体質、つまり、あまり競争原理に人々がかき立てられることなくよろしくやっているというところが考えられるのではないか。とにかく、ポルトガルの人たちはマイペース(かといって、この言葉がしばしば含んでいる「作業が遅い」ということはない)。行動一つ一つをじっくりと楽しむ、いやじっくりとやってしまうという感じが、こういった仕事の丁寧さを引き立てているのではないだろうか。仕事をしている人誰もが自分のペース、スタイルを持って仕事を「楽しんでいる」という感じなのだ。レストランのオヤジもよ~く見ていると、自分のスタイルが明確にあり、このパターンに乗りつつ快調に飛ばしているという雰囲気が伝わってくる。
そしてもう一つは、この国が人口一千万程度の小国であるということ。だから、日本なんかに比べると地域の顔が見える。つまり共同体的な人間関係がこの規模の小ささで維持されている。だからではないだろうか。首都リスボンでさえ人口は57万。大都会というよりも地方都市という印象が強いのだから。

「美しい国、ポルトガル」をぜひ訪れて欲しい。

次回以降、しばらく”ポルトガル紀行”をお届けしようと思う。