香港映画?空手?それ、何?

1974年3月のことだった。当時中学一年だった僕はちょっとおいしい環境にいた。群馬県の前橋に住んでいたのだが、市内の映画館をただで見て回ることができるという特権を持っていたのだ。友人の父が市内の映画館協会の会長で、この友人はタダで映画を見ることが出来ていたのだが、一人では寂しいらしく、必ず僕を毎回誘ってきた(なぜ、もっぱら僕だったのかはいまだにわからないのだが)。だから僕もタダで見ることが出来たというわけ。

で、また彼が映画に誘ってくれた。今度の映画は「燃えよドラゴン」という香港の空手映画だという(実際には香港とハリウッドの合作。本作はリーのハリウッド進出第1弾だったのだ(もちろん第二弾はなかったのだが))。そう言われたとき、ハッキリ言って僕はあまり期待しなかった。「香港?どうせハリウッドとは規模も全然違うチンケな映画だろう」「空手?特撮じゃないの?」こんな感じだったのだ。しかし、これは当時の日本人の一般的な第一印象だったろう。香港映画も、空手(ホントはカンフー)もその程度の認識。もちろん、主演の役者の名前も全く知られてはいない。映画自体も大作のオマケみたいに思われていたはずだ。ちなみに当時、地方では映画は二本立てというのが一般的で、この映画も二本立ての一つだったと思う。そして、僕としてはそちらの方を期待していた(残念ながら、目当てにしてしまった映画の題名はもう記憶にない)。

「ま、どうせタダなんだからいいや」

こんな気持ちで、映画館に入っていったのをよく覚えている。

とんでもないものを見てしまった

ところが……見終わって映画館を出てきたときには、僕の頭は完全におかしくなっていた。頭の中にはリーの叫ぶ怪鳥音が鳴り響き、敵を仕留めた瞬間、悲しい顔つきをしながら中空を見つめるリーのイメージがこびりついて離れない。いや、あの動きはいったい何なんだ?

「とんでもないものを見てしまった」。子どもだから、当然、作品鑑賞能力は低い。しかし、そんなことは全く関係なく、リーの衝撃は僕の身体全体を突き抜け、頭の中で映画のシーンを何度も何度も反芻した。もちろん、カラダは「アチョー、アタッ、アタッ」と叫びながら手足が勝手に動いている。自分は完全にリーが乗り移っているという状態に。完全に、狂っていた。

クラスの男子生徒が次々とブルース・リーの病に

翌日になっても僕の興奮が冷めやることはなかった(というか、興奮してほとんど寐ることができなかったのだ)。で、学校に着くやいなや、僕は「燃えよドラゴン」とブルース・リーのことについて、とにかくクラスの連中に吹きまくった。あまりに興奮して話をするので、ほとんどの連中は「何こいつ、のぼせ上がっているんだ」くらいの反応しかしなかったのだが、僕の吹きまくりに感化された男子生徒が二三名現れ、彼らは「そんなにスゴイのなら観てみようか」ということになり、映画館へ足を運んだ。もちろん、この時、僕がいっしょについて行ったことは言うまでもない。しかも今回はちゃんと入場料金を払って。

で、映画が終わって映画館を後にしたとき、僕が連れて行ったこの連中も、完全に僕が最初に映画館に行ったときと同じ状態になってしまった。道を歩きながら怪鳥音を発し、蹴りを入れ、エアー・ヌンチャクを振り回していた。そう、彼らも一発で完全にやられてしまったのだ。

もう、こうなれば、あとはなんと言うことはない。彼らもまた学校で「燃えよドラゴン」を吹きまくり、これで「え?そんなにスゴイのか?」ということで、他の連中も次々に映画館に足を運び、そして当然ながら見終えた後には、全員がブルース・リーになっていたのだ。学校に自作のヌンチャクを持ち込んで教員に取り上げられる生徒が出てきたのは、もうすぐその後だった。
そう、学校中の男子生徒がブルース・リーになってしまったのだ。