自己探求の果てに~ジャコは永遠を獲得した

しかし、こうやって自己表現のため、そして音楽創造のためにピュアになればなるほど、それはジャコが社会性を喪失することを意味していた。名声が高まり、新しい音楽への志向性が高まるにつれジャコは社会との関係をますます断ち切るようになる。そして徹底的な自己中音楽の背後では、わがままで言うことを聞かないというキャラが全面化するわけで、多くの他のミュージシャンにとっては「スゴイけれど厄介なヤツ」というレッテルが貼られていく。

もっとも孤高のジャコであったとしても、それまでは様々なミュージシャンと絡み合ううちに、多くのものを吸収していたはず。とりわけウエザーリポートというユニットは、そういった意味でジャコの音楽のスケールを拡大する苗床でもあった。ところがジャコはグレイトなスーパースターになり、専制君主となった。そうなれば自分の好き勝手に創造をはじめる。だがそれは完全に他者に対する視点を喪失することでもあった。内側だけを見つめるような環境を築いたジャコ。しかし、それは外部からの吸収を完全に断つこと。言いかえれば自ら創造のための燃料を断ってしまったことになる。だから専制君主になった瞬間、ジャコのサウンド、そしてインスピレーションは衰退していった。

84年後半以降、ジャコの存在はミュージックシーンから姿を消す。躁鬱病状態に陥ったというのだ。そして三年後、地元フォートデールの飲み屋でのちょっとした諍いで警備員に蹴飛ばされたジャコは頭部を鋭角な部分にぶつけ脳挫傷をおこし、そのまま帰らぬ人となったのだが、それはある意味でピュアなミュージシャン=どうしようもないヤツが辿った、極めて「まっとう」な末路だったといっても、過言ではないのかもしれない。

一方、ザヴィヌルだがジャコ脱退後もウエザーリポートを継続するものの次第に名声を失っていく。そしてグループは86年に解散するのだが、現在ザヴィヌルが作り出したシンセサイザーを聴くとどうしても70年代後半から80年代の音という印象を抱いてしまう。とても古くて、時代の風雪に耐えられないのである。そう、ザヴィヌルもまた形而下のミュージシャンだったのである。それゆえに現在、ウエザーリポートを聴くときはむしろ「ジャコを聴くため」といった状態になる。ジャコのプレイはいつまで経っても褪せることのない永遠を奏で続けている。そして、ザヴィヌルは名声を回復することもなく07年、皮膚癌で他界する。

ジャコの音楽、ジャコが加わった音楽を聴くとき、僕はどうしてもジャコしか聴くことができなくなる。つまり曲やサウンドなど聴いていない。音楽の中に、一つだけ麻薬が入っていて、それに手を伸ばすと、あとは全部「刺身のつま」くらいにしかならなくなってしまうのだ。恐らくジャコ・フリークはだれもがこんな病魔に冒されているのでは無かろうか?ああ、ジャコ!