(ジェフ・ベックとの競演が聴けるスタンリー・クラークの『Journey to Love』と、チョッパー大会もどきのブラザース・ジョンソン『Right on Time』)
この時期、つまり七十年代半ば。巨匠マイルスのエレクトリック転向の影響でジャズ界にエレクトリック楽器の導入が始まる。そして当初これらを用いた演奏形態はロックとジャズの融合と言うことで「クロス・オーバー」と呼ばれていた(後にその名はフュージョンに変更される)。ベースもご多分に漏れずエレクトリックベースの新星、あるいはアコースティックからエレクトリックに持ち替えたミュージシャンが登場する。ジャコ以前、あるいは同時期に注目されていたミュージシャンとしては、たとえばリタートゥ・フォーエバーのスタンリー・クラークやブラザース・ジョンソンがいた。ただしこれら「新星」はジャコとある一点で根本的に異なっていた。スタンリー・クラークの場合、彼が所属するユニットであるリタートゥ・フォーエバー自体がそのような傾向に走っていったのだが、とにかくテクニックを見せることに命をかけるというものだった。リーダーのチックコリアもそうだが、ギターのアル・ディメオラにしても、ドラムスのレニー・ホワイトにしてもとにかく超絶技巧。ただし、彼らのテクはいわば「ギネスに挑戦」。とにかく早引きだったり、難しいリフを展開するという職人芸に特化したかたち(リーダーのチックだけは多少スタンスが異なってはいたが)。実際スタンリーはものすごい早引きをしたり(ジェフ・ベックとワールドツアーを行い、ベックの早引きギターに対しベースで対抗していた!)、アコースティックベースをアルコ演奏(弓を使って演奏する)する際にも、あたかもバイオリンを弾くように素早く弾いて見せた。但しこれらのスタイルは楽器を駆使し、音を紡ぎ合わせ、新しいサウンドを提供するというのとはどうも方向が違う、形而下の演奏。いうならば「俺たちこんなに上手いんだぜ」というような「下卑た」パフォーマンスだった。
ブラザース・ジョンソンも同様で、この兄弟のウリは当時開発されたチョッパー奏法、通称チョッパー・ベースだった。とにかくベンベン、バリバリとベースを叩きならすというイロモノをウリにするというもの。こちらも形而下の商業主義を当て込んだようなパフォーマンス。これら二つはいずれも自己表現と言うよりも他者に対して見せつけるというのが基本のスタイルだった。
ところがジャコは違っていた。相手より上手いとか、そんなことは毛頭関心がない。つまり技術的に卓越することが第一の目的ではない。ジャコはまず自分の表現したいイメージがあり、それを表現するために技術を必要とした。つまり、めざしたのは他者ではなく、自分自身の欲望、自分自身にの頭の中にあるサウンドのイメージの達成に向けてだった。だから、そのためには手段は選ばないというスタイルだったのだ。
ただしこのやり方は、やはり問題がある。それが結局、ジャコを破滅に導いてしまうのだが……(続く)
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