(アルバム『ヘヴィー・ウェザー』と『8:30』。二つのアルバムで聴くことのできる「バードランド」はザヴィヌルとジャコの関係の変化、性格の違いを明瞭に物語る)
ザヴィヌルとジャコの対照
二つの曲の対照は、リーダーのザヴィヌルがあくまで曲をサウンドというユニットとしてまとめようとするという志向と、ベースのジャコがひたすらベースの可能性を追求しようとする、サウンドに対する志向性の違いに他ならなかった。そしてこの二つがフュージョンすることはなかった。というのも、二人はある面、全く共通する性格を備えていたからだ。それは……二人とも自分中心で世界を描きたいという欲望だった。ウエザーリポート結成時のメンバー、三頭リーダーの二人、つまりヴィトウスとショーターもまた大変な世界観を持っていたミュージシャンだった。なおかつ結成時において最も知名度が高かったのはマイルスコンボで名声を獲得していたサックスのイノベーター、ウェイン・ショーターだったのだ。ところがウェザー・リポートは活動が長期にわたるに従って、次第にザヴィヌル色に染まっていく。これに耐えられないヴィトウスは脱退。そしてなぜかショーターはザヴィヌルのコンセプトに追従するという形をとっていた(だから、当時ウエザー・リポートで活動するショーターに対し、多くのファンは「脱退しろ」「ショーターの卓越したアドリブが封印されていてけしからん」と非難を浴びせていたものだ)。そんな中、その才能を見抜いたザヴィヌルがジャコを抜擢する。だが、ジャコは加入当初こそザヴィヌルのサウンドユニットに従っていたが、次第に自己主張をはじめていく。次作『ミスター・ゴーン』はさらにザヴィヌル色が強くなり、ジャコとザヴィヌルの折り合いは次第に悪くなる。ライブでは二人がひたすらボリュームを上げ続けるという自己主張合戦があったほどだという。
ジャコの演奏スタイルの問題点
表現の可能性追求のため演奏技術とか新たな演奏テクニックの開発というところにばかり頭が行くジャコ。しかし、これをウェザーリポート内でやられると困ったことが起こる。サウンドが貧弱になる、あるいは、いわば「頭でっかち」な演奏が展開されてしまうのだ。もちろんこれはテクノロジーレベルの理屈っぽさというのではない。つまり技術が表現に勝ってしまうというものではない。そうではなくてサウンド全体の中で低音部が薄くなってしまう、だから足下が落ち着かないという意味で「頭でっかち」なのだ。ジャコ参入後のウエザーリポートでの低音の不安定さは誰が聴いても分かるレベルのものだった。一般にベース楽器の機能はどのように捉えられるだろうか。言うまでもなくドラムと同様、サウンドのリズムを刻むことによって曲調、サウンド全体にノリをつけるとともに安定した進行を促すものだ。いうならばベースとは原則「裏方」なのである。
ところがジャコは違った。バックでキッチリタイムキープし続けるなどと言うことはほとんどせず、ひたすらベースでソロをやりつづけてしまうのだ。ジャコは思いのままにアドリブを展開し、メロディまで奏でていくという、徹底的にしゃしゃり出るベース。だがリズムキープ、タイムキープする役目であるはずのベースが勝手に踊り始めれば、誰がキープの役割を果たそうというのか。それゆえにこそ、ウエザーリポートのサウンドはどうにも落ち着きのないものとなっていったのだ。そのことをザヴィヌルは気付いており、自らのシンセサイザーにベース音を奏でさせたり、バスドラムのキープが上手いドラマー、ピーター・アースキンをメンバーに起用したりはするのだが。この辺の事情については当時、ジャズ評論家の悠雅彦はジャコの才能を認めつつも「ウェザー・リポートリポートにはもう一人ベーシストが必要」と指摘している。つまり、既存のタイム/リズムキープのベーシストを置き、安定した展開の中で、ジャコに好き勝手にソロをやらせろ、というわけである。
どんどん突っ走るジャコ
しかし、ジャコのグループ内での活動における自己主張はとどまることを知らず、ウエザーリポートはどんどんジャコのベースを奏でるバンドと化していく。アルバムではかろうじてユニットとしての演奏を見せているが、これがライブとなると、もうわけがわからなくなってくるのである。この様子はウエザーリポートの二枚組ライブ『8:30』の中に聴き取ることができる。このアルバム、ある意味では傑作だが、ある意味では失敗作なのかもしれない。つまりジャコの狂気のベース演奏にひたすら驚愕し、そのアイデアに唖然とし、めまいを感じるには最高のアルバムなのだが、もはやこれはサウンドと言うにはほど遠いものとなっているのだ。とりわけ「バードランド」の演奏において、これはよく分かる。ジャコは『ヘヴィー・ウェザー』のスタジオ録音の時のようなサウンドを尊重した控えめな演奏ではなく、ひたすら勝手にソロを弾きまくるのだ(でも、すごくカッコイイ。溢れるアイデアが炸裂し、聞いている側まで気が狂ってくるのだが)。そしてザヴィヌルはもうあきらめたのだろうか?彼の演奏に対して全く放置している。だからこれはウエザーリポートというユニットの演奏としては完全に崩壊しているのだ。で、聞いている方ももう聴き方がオカシイ。ザヴィヌルのコンセプトに基づいた音楽など聴いていない。そんなものはどうでもよくて、演奏の中でジャコがどう歌って踊って狂っているのかにしか耳がいかなくなる。聞いているのはジャコだけになってしまうのだ。(続く)
コメント