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   (『ジャコパストリアスの肖像』自信たっぷりの腕組みがキマっている)

知ってる人は皆知っているジャズの巨人

ジャコ・パストリアスといってもジャズに関心のない人間ならば全く知らない人物だろう。しかし、ジャズ好き、とりわけベース好きならジャコ・パストリアスという存在を知らない人間はいないだろう。天才、ジャズの歴史を塗り替えた男、フレットレスベースの巨匠……彼を賞賛する言葉は尽きるところがない。そしてジャコが二十代半ばでジャズ界に出現し、三十六歳という若さで事故死するという、きわめてジャズ的(ロック的)な人生もまた、彼の栄光を高めるものとして語り継がれているものだ。彼を賞賛するものとして『ジャコ・パストリアスの肖像』という文献すらあるくらいなのだ。ジャコ、ファンの間では「ジャコパス」と略称で呼ばれている。

僕は現在四十八歳。幸運なことにジャコの出現から夭折までの一部始終をリアルタイムで体験することができた。そして、彼の存在をやはり僕も天才のそれと即座に判断した一人だった。アルバム『ジャコ・パストリアスの肖像』での衝撃のデビュー、ウエザー・リポートへの参加、そしてアルバム『ワードオブマウス』……。たぐいまれなるテクニックでジャズベースの新境地を開いていった、そのイノベーターとしてのクリエイティビティにはひたすらあきれるばかりだった。

ただし、彼を天才とかハイテクの持ち主などと讃えるのはもうイイだろう。いろんな連中がやっていることだ。むしろ、この文脈をちょっと外してみてジャコを見つめてみるほうが、もはやおもしろいんじゃないんだろうか?で、今回はジャコのユニット、グループの中での役割という視点から考えてみたいと思う。先に結論から言ってしまうと、全くチームワークができないKYな存在だった。それゆえジャコは輝いていたと言うことになるのだが。

ジャコの評価はウェザー・リポート参加で固まる

ジャコがジャズ界に彗星のごとく現れるのは前述したアルバム『ジャコ・パストリアスの肖像』(76年)だが、これはどちらかといえば後付的な説明のような印象が僕にはある。ジャズ雑誌『Swing Journal』でもこのアルバムは大きく取り扱われていた。それは’期待の新星’みたいな扱われ方であって、当時の日本ではまだジャコがこの後ジャズ界に重要な存在となることを完全に予測した人間はいなかったように思う。そして、ジャコが本格的に認知(少なくとも日本で)されたのはウエザーリポートのメンバーに加わった時だろう。このユニットはもともとキーボードのジョー・ザヴィヌル、サックスのウェイン・ショーター、ベースのミロスラフ・ヴィトウスの三頭リーダーによって活動が続けられていたフュージョン・グループ(いや、正確に当時の言葉を用いればクロス・オーバーグループ)。

そこにジャコが加入する。ジャコはヴィトウスが仲間割れした後、二代目ベーシストとして加入したアルフォンソ・ジョンソンとアルバム『ブラック・マーケット』でベース担当を分け合っていたが、二人の演奏のスタイルは全く違っていた。ブラックコンテンポラリーの保守本流のジョンソンと、ふにゃふにゃとしてわけのわからないベースを奏でるジャコ。だが、ザヴィヌルはジャコの才能を瞬時に見抜く。次作『ヘヴィー・ウェザー』ではジャコにサブリーダー的な役割を与え、そのせいでアルバムはジャコ色が全面に現れるものになっていく。このアルバムの中の愁眉は「バードランド」と「ティーン・タウン」の二曲だった。しかし、この二つは全く異なった傾向を備えていた。


アルバム『ヘヴィー・ウェザー』の対照をなす二つの名曲

「バードランド」はヒットチャートを上り詰め、ウェザー・リポートを代表する曲となる。ジャズ演奏のアドリブ部分を極力排し、ザヴィヌルのシンセサイザーを中心とするサウンドがいわば大きな固まりとなって、聞き手に強烈なメッセージを放っていた。ポップでロックなインストルメンタル。ポップで耳障りのいいメロディもザヴィヌル、サウンドとしては真骨頂だった。この時、メンバーのショーターもジャコもこのサウンドのコンセプトに追従する状態で、サウンドのユニット性を高めるのに大きく貢献している。ちなみにこのアルバムはグループ結成以来最大のヒットとなったが、その代表曲がこれだった。

一方、「ティーン・タウン」はこれとは対照的に、全くウエザー・リポートしてのユニット性はない。これは完全にジャコの世界だ。曲の始めからひたすらジャコのフレットレスベースのソロが続く。しかも、バックでドラムを奏でるのもジャコ。そして、多くのジャズファンやベーシストが、この曲に驚愕した(よく引き合いに出される『ジャコ・パストリアスの肖像』の一曲目、チャーリーパーカーの「ドナ・リー」にぶっとんだ、というファンの話は、恐らくかなり虚飾があるのではなかろうか。実はやはり、この時ジャコは「ウエザーリポートのジャコ」として認められたのだから、多くのファンにとって「ジャコの衝撃」はこちらであるはずだ)。

だが、この二つの対照は、この後、ウェザー・リポートが抱えることになる、そしてジャコが抱えることになる問題の始まりでもあった。二つは全く正反対で、かつ全く相容れないモノだったのだ。(続く)