映画「ニューシネマパラダイス」の名シーンといえば

ニューシネマパラダイスの中で、名シーンとして映画史に刻まれているのがラストだ。

アルフレードの葬式への参列のためにジャンカルドに戻ってきたトトは未亡人となったアルフレードの妻アンナから形見を渡される。それは自分が死んだらトトに渡すようにアルフレードに言われていた一本のフィルムだった。

葬式が終わり再びローマで映画監督としての仕事に戻ったトト。すると自分の作品が賞を受賞したとの知らせが。ところが、そんなことに喜ぶことすらなく、トトはスタッフにこのフィルムの上映を命じるのだった。

たった一人の映写室。そこでアルフレードの形見のフィルムが始められた(ちなみに、この時、映写を担当するのはJ.トルナトーレ。いわゆるカメオ出演だ)。そして、そこに映し出されたものは。おびただしい数のキスシーン、そして裸のシーンだった。次から次へと登場する名作のキスシーン。これを観ているわれわれの涙腺はなぜか緩み、涙が止まらなくなる。なぜなんだろう。

共同体の人間の強い連帯が、そこにある

ちゃんと映画を観ている人間なら、なぜこんなフィルムをアルフレードがトトに渡したのかはすぐに分かるはずだ。シネマパラダイスの時代に記憶をさかのぼってみよう。こんなシーンがあった。

シネマパラダイスの映写室に入り浸るトト。神父の指示に従ってキスシーンと裸のシーンをカットするアルフレード。しかしこの切り刻みの作業の時には少しだがフィルムを切り刻まなければならない。この切れ端が映写室にはころがっている。トトは、このフィルムの切れ端をちょろまかして宝物にするのを日課にしていたのだ。

ところが、切れ端どころか結構長いフィルムがそのまま映写室に残っている。キスシーンと裸のシーンをカットするのはシネマパラダイスだけ。ということはシネマパラダイスでの上映が終了したらまたつなぎ合わせて元に戻し、他の映画館のロードショーに回さなければならないのだ。ところが、アルフレードは時には、それがどこ場所だったのか分からなくなり、そのまま放ったらかしに。これが結構な量になっていた。

ある日、これをめざとく見つけたトトがアルフレードに懇願した。

「どうせ残っていて使わないんだから、自分によこせ!」

いったんは拒絶したアルフレードだが、トトのしつこさに負け、このフィルムを「いずれくれてやる。そのかわり二度と映写室に来るな」という約束を取りかわしたのだ。

このフィルムは、その約束を果たす「いずれ」の日がやってきたことを意味している。アルフレードはトトとの約束をちゃんと守ったのである。だからこそ、フィルムはキスシーンと裸のシーンになったわけだ。

そう、ここでは共同体の連帯、そしてトトとアルフレードの強い絆がフィルムを媒介に描かれている。その強い関係をベタに言葉でなく一本の、しかも共同体があった時代からしたら「上映禁止」のシーンで埋められたフィルムという、いわば安っぽい、下卑たもので伝えるというコントラストが、観ている側をハッとさせる。そしてこれを観ていたトトは涙を浮かべながら思わず「アルフレードのやつ」と言ったような表情を浮かべる。「アルフレードは草葉の陰でしたり顔し、そして自分にアッカンベーをしてきやがった」。トトは涙ながらにこのシャレを通しての愛情表現に舌を巻くのである。

ただし、ここで観客に涙腺をゆるめる効果を促すのはこれだけではない。(続く)