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(この隠れミッキーは、どこ?)

モダンとポストモダンのほどよい融合

もうひとつ、そしてこれがいちばん大きな事なのだろうが、ディズニーシーはモダン的要素とポストモダン的要素がほどよく融合していること。これが、独特の彩りを形成し、人々に受け入れられる原因となったのではないか。

モダンとは、すなわち「物語」的な側面。あちこちにストーリーを配して架空の空間にリアリティを形成するというのは、ウォルト・ディズニー以来の伝統だが、まずこれがかなりのレベルで忠実に再現されている。しかも、そんなに破綻は見えない。いいかえれば施設・環境それぞれにそれなりのいわれがかなりの密度で盛り込まれており、これがきれいに融合している。

入ってすぐのメディトレニアン・ハーバーは地中海全体のイメージを象徴的に表現したもの。向かって左隣はニューヨーク・ウォーターフロントで、テーマは突然アメリカに移ってしまうが、この二つの間にディズニー・エレクトリック・レイルウェイが二つのシーを分断するようなかたちで走っており、違和感を感じさせない。また、われわれがしばしば「欧米」と呼ぶように、西洋は欧州圏とアメリカ圏が私たちの頭のイメージとして事実上融合したもの。だから仮に隣り合わせていて双方からその様子を覗くことが出来ても問題がないのだ。つまり欧米という名の物語がきれいに展開されている。

しかし、これらをよく見てみると多くの疑問にぶつかることも確か。たとえばメディトレニアン・ハーバー。入り口にあたるホテルミラコスタはイル・ポルトフィーノ、トスカーナの田舎町、ベネチア、フィレンツェの町並みから出来たごちゃ混ぜの建物で、実は統一感に欠けている。しかしゲストのほとんどはそのようには考えない。なぜか、要するにこれはそんなゴチャゴチャとした分類よりも、単なるヨーロッパ・地中海の港町だからだ。こういう風に考えるとこの街並みにもオリジナルはなく、バーチャルなものなのだ。

同様のことはアメリカン・ウォーターフロントにも該当する。ここは二十世紀初頭のニューヨークとケープコッドが舞台。ところが、ここにSAKURAという和食レストランが存在する。マンハッタンの漁港で働いていた移民の日本人がはじめたレストランという設定。これも一見するとなんの矛盾もないように思えるが、実は二十世紀初頭に和食レストランなどニューヨークには存在しない。もっとも、現在のマンハッタンにはヤマほどあるわけで、ようするにここに再現されているニューヨークは時代を超越した、われわれのアタマの中に作られた、やはりヴァーチャルなニューヨークなのである。
F.つまり、実際の時代を再現するのではなく、われわれがイメージするステレオタイプを具現すること。これがポストモダンの側面なのだ。しかし、そのパーツそれぞれはモダン。ということはモダンとポストモダンがここでは融合されているのだ。一方このあおりというか、コントラストを明確にしようとしたせいか、東京ディズニーランドは年々お子様かが進んでいるように僕には思えるのだが。

もっとジジイ向けのディズニーランドをめざせ

もっとも、年寄りといっても、もはやヴァーチャル時代を人生の半分以上を占めている世代。もう、こういったポストモダンなインチキは十分に許される時代になっているんでは無かろうか。僕は思う。もう東京ディズニーシーは徹底して大人コンシャスで行くべきだと。もはやこの環境ともなれば子どもがいない方がふさわしいというところにまで、このパークはおそらく来ている。

そう、ディズニー世代は、ついに六十台にまで達しようとしてい、るのだ。だから年寄り向けディズニー欄尾があってもいい。それがシーであっても、十分よろしいのではなかろうか。大人がずっと子どもでいるられる場所。それが東京ディズニーシーがめざすべき方向なのかもしれない。