アルフレード、神の視線(2)

アルフレードは神の視線

繰り返そう。アルフレードは結局、二つのマクロな視線を持っている。一つはジャンカルドの外を見る視線。映画を通して、ジャンカルドの村人の中で唯一、これをすることができる。そしてもう一つはジャンカルドの人々の動き、ジャンカルドの内部を上空から見る視線。いったん外部の視点に立ち、振り向いて今度はジャンカルドの内部を覗くのである。外部、内部双方に向けてマクロな視線を持ち、状況を観察している。これは言いかえれば神の視線に他ならない。アルフレードの視線はすべてお見通しの視線なのだ。

ということは、これからジャンカルドがどうなるか、そして映画がどうなるかということも知っていてるのは当然ということでもある。だからこそ才能溢れるトトをジャンカルドから追放する必要があると考えたのだ。

ニューシネマパラダイスのこけら落としの時、映写室の中で映写技師を務めることになったトトにアルフレードは語る

「学校を辞めてはいかん。これはオマエのやる仕事ではない。映画館とオマエの関係もこのままうまくはいかない(トトはアルフレードが何を言っているのか全く理解できていないのだが)。オマエには他の仕事がある。もっと大切な。」

兵役から帰ってきたときもトトに忠告する。

「ここは不毛だ。毎日ここにいると、ここが世界の中心に見える。でも世界は変わっている。この村を出たら当分の間、帰るな。おまえはわしより目が見えない。」「それは誰のことば」「いや、誰のことばでもない。わしのことばだ。人生は映画と違って複雑だ。村を出ろ。ローマへ戻れ。もうおまえとは話さん。うわさ話を聞かせろ」

この時、アルフレードの語る背後には十字架が立っている。

さらに、ジャンカルドから列車で旅立つときには

「村へ戻るな。村をわすれろ。手紙も書くな。全て忘れろ。帰ってきてもわしの家にはいれてやらん。自分の全てを愛せ。子供の頃映画を愛したように。」

とダメを押す。”これからは個人主義の時代がくる。ということは共同体はもう終わり。そしておまえがおもしろがっているかたちでの映画も終わり。だからおまえは新しい時代の映画を作って才能を開花せよ”アルフレードのメッセージはこれだ。こう考えるとすべてをお見通しのアルフレードがトトのエレナの関係を引き裂いたのも、非常に納得がいく。(続く)