理系アタマは、原則獲得できる

ココまで述べてきた理系アタマの話、つまり偏差値を上げるという話は、要するにノウハウがきちんとあり、この環境を用意すれば、たいていの人間は偏差値をゲットし、理系アタマにはなれるということだった。ということは、この理系アタマ養成ギブスを大学入学以前に装着していれば、東大や早慶もさしたる難関ではないということになる。だが、多くの人間がこの「思考停止、バカ正直」方法に気づいていない。で、ヘンな教育方法とか教育産業が跳梁する……みなさん、冷静に考えましょ。理系アタマ、これって単なるスキルなのよ。

ちなみに残念ながら低偏差値のまま大学に入ってしまったキミ。でも、まだ勝負は始まったばかりだ。とりあえずは、この方法で理系アタマをゲットし、就職戦線とかに参戦すべきだ。もちろん、キミの所属する大学は低偏差値ゆえ、そこでハンディを背負うことになるのは致し方ない。大学名は偏差値のバロメーター、キミは理系アタマが、少なくとも大学入学までは弱かったことを、大学名によって証明されてしまっているからだ。しかし、この理系アタマ養成ギブスを生かせば、このハンディをフォローすることも十分可能だ。つまり、まあ一流会社にはいると言うよりも、このスキルをいずれかの職種や技術に生かしていけばいいわけだよね。

ホントーに「頭の悪いヤツ」ってのは、残念ながら存在する。但し、ほとんどの人間が、こういったかたちで潜在的能力を開花されていないだけ。僕はそう考える。

理系アタマ+文系アタマ=頭がいい

さて、しかしである。リーダーになる、つまり「アタマがいい」のではなく「頭がよい」ためには、理系アタマだけではダメということを前に述べておいたことを思い出して欲しい。理系アタマ、これだけだと「兵隊」としての能力しかないわけで、これに統合したり、創造したりする「文系アタマ」が加わらなければ、決して頭がいいとはいえない。

ダイビングで遭遇した、理系アタマ・バカ

ここで、理系アタマ・バカのエピソードをちょっと。これは、僕がタイのタオ島でダイビングをしたときの話だ。そのとき、たまたま一緒にダイブすることになったヤツがW大政経学部のバカだった。バディと一緒に潜ったのはいいが、この学生、ひたすらダイブ・メーター見たり、潜り方のスキルをしゃべったり、ダイビングをするという行為についての技術にこだわり続け、船にあがっても、そのことを喋り続ける。そこの技術はあーだこーだ言う語りの背後には、「オレはこんなにスキルがあるんだぜっ」てな過剰な意識がありあり(もちろん、このさらに背後に「オマエらはこんなスキル、ねーだろー」という優越感もありあり)。

そう、確かにコイツは、ダイビングのことについて詳しいことは詳しい。しかしである。だからどーなんだっ!何でダイビングしているんだ?それから、オマエ以外の一緒にダイブしているヤツが、オマエのお陰でどういう気分でダイビングしているのか察しているのか……こいつ、もちろんKYである。

あのね、悪いけど、ほとんどの人は「鯛やヒラメの舞い踊り」が見たくてこれやってんのね。オマエみたいにスキル自慢のためにやってるんじゃあ、ないの。

そう、要するにこの男は、なまじ理系アタマなので「オレは頭がいい」と勘違いしているほど「頭の悪いヤツ」なのである。で、実は無意識に「自分が頭が悪い」ことを知っていて、それだからこそ、自分が他の連中より能力があることを示さないではいられない。だから、こんなダイビングなんてレジャーでも、自分の理系アタマをみせつけようとする、って考えられないこともない。偏差値の高いヤツの中には、こういう頭の悪いヤツが、かなり多い。

本当に頭が良ければ、まず周りの状況を読んで、その中で自分も楽しむ術を考えるはずだ。ここでおもいっきり自意識過剰に自己主張する必要もないはずだ。でも、可哀想なことに、コイツは「理系アタマ」に頭を蝕まれて、限りなくバカになっている。「うーん、やっぱり良くて、コイツは兵隊止まりだな」「いや、このままだと、単なる「こまったちゃん」かも?」

文系アタマの養成。これこそ、永遠の謎だ

理系アタマの養成については、もうさんざん述べてきた。では本当に頭が良くなるために、これにどうやって文系アタマを積み重ねるか、ということになる。だが……実はこれが永遠の”謎な”のである。こればっかりは、なかなか鍛えられるものではないというのが正直なところだからだ。「これ」といった決めてはないのではなかろうか。でも、それじゃなんなので、二つほど方法を述べておきたい。

一つはコミュニケーション能力だ。つまりKYでなく、他者の行動を察することができること。そしてその行動を踏まえて自分の行動を規定できること。そのためには多くの人間と関わり合い、対人的なスキルを養成しなければならないだろう。

もう一つは、最初のものと関連するが、相手を見ると言うことは自分を見ると言うことなので、自分を冷静に見つめる能力を養成するということ。これによって相手、そして自分の立ち位置を決めることができる。逆に言えば、さっきのダイビング・バカは自分の理系アタマにうぬぼれてしまっているので、相手の行動を観察することもできていなければ、自分を相対化することもできていない。

二つを総合すれば、マクロレベルで状況を冷静に読み取り、その中で何ができるかをやはり冷静に判断するということを常に心がけることだ。そして、こういう冷静な判断をするにあたって、状況をバッサリ切ることができる分析能力が必要だ。で、この能力というのは、実は理系アタマのなせるワザでもあるのだ。

結局やっぱり理系、文系二つの頭がバランス良く、そして弁証法的に相互作用して機能しないと、頭が良くなることはできないというのが結論になるのだろうか。言いかえれば、天才というのはやっぱり天才で、ごくわずかしか存在しないと言うことになってしまうのだが。