二つの能力、理系アタマ=処理と文系アタマ=統合

さて、では「頭のよい」と言うことを改めて考察してみよう。例の僕の人事部の友人が指摘した「頭のよい」を別の角度から少し整理してみる。ここでは俗説の理系アタマ、文系アタマ(あるいは脳局在機能論の「左脳と右脳」でもいいんだが)という分類を用いて、「頭がいい」を二つの視点からまとめてみる。

理系アタマ=処理能力の速さ
理系アタマとは、とにかく言われたことを、迅速かつ正確に処理する能力。これを「頭がよい」の要素=条件の一つにしよう。この場合、必要なのは余分なことを一切考えずに合理的に物事を処理する力だ。で、これはどうやったら測定可能なのか。言うまでもない。これこそ「偏差値」が証明しているものだ。国語の試験の長文問題に複数の意味を読み取るなんてことは一切行わず、受験国語に従った解釈(解読?)しかしない能力がこれだ。で、この処理能力の速さが、もっぱらこれまでは「頭の良さ」の基準だった。だが前回示したように、これは「頭の良さ」の条件の一つに過ぎない。つまり純粋に処理が早いだけで、「なぜその処理をするのか」について考えるアタマではない。言いかえれば「兵隊」としては使える連中が保持する能力となる(「役人アタマ」と言いかえてもいいかも)。よって、偏差値が高いと言うことは、こちらのみが優れていると言うことで「アタマがいい」ということになる。

文系アタマ=統合能力の速さ
文系アタマは思考を統合したり、創造力やひらめきを司る能力としよう。つまり組織をまとめたり、新しいアイデアを考えたりする能力だ。これだけのことを踏まえれば、クリエイティブと言うことで、こっちの方が頭が良さそうだが、そうでもない。もし理系アタマが弱く、こちらの方がやたらと強力だったら……夢想家とか大ホラ吹きとかになってしまう。第一、さっき前述した国語の長文試験をやったら様々な解釈を見つけてしまい、全く得点をゲットできないことになる。基本的な処理が済んでいないのにこれを勝手にエディットしてしまうからだ。これじゃあ仕事なんか無理。こういうのは一般に「バカ」と呼ばれる。あるいは「勘違い」と読んでもいい。

「頭がいい」とは要するにバランスの問題だ

ということは、「頭がよい」ためには、理系アタマ(=アタマがいい)だけでも、文系アタマ(=夢想バカ)だけでも、ダメよねっ!ってのが正解と言うことになる。要はバランスの問題というわけだ。

つまり「頭の良さ」の条件は、次のように捉えることができる。まず基本としては情報をきちんと処理できなければいけない。つまり理系アタマでなければならない。だが、タダそれだけではダメで、この基本を踏まえて、応用できなければならない。データを自分なりにカスタマイズできること。言いかえると理系アタマの上に文系アタマが必要と言うことになる。リーダーになるヤツは情報処理が早いだけでなく、とりまとめたり、アイデアを出すのも優れているからだ。

で、こう考えると、くだんの人事部の友人が偏差値の高い方を採るというのは、次のように読み換えることができる。とりあえず偏差値の高いヤツを採っておけば「理系アタマ」だけは確保できる。そして、さらにこいつらに文系アタマがあればリーダーになる可能性があるというわけだ。それが5%で、そうでないヤツ=95%は「兵隊」として使える(もちろん、こんなにすんなりとはいかないだろうが)。

ところが偏差値が低ければどうなるか。もうおわかりだろう。「大バカ」で「処理できない」可能性が極めて高くなると言うわけだ。要するに使いようがない。

ならば、一流企業にはいるためには、さしあたり高偏差値をとれればいいと言うことになるのだが……(続く)