トトと母親を媒介として広場のエピソード
夜の広場のシーン二つめは、トトと母親にまつわるシーンだ。ここのエピソードは実に手が込んでいる。それは、共同体の中では、「ことば」による情報伝達と、「黙契」=身体による情報伝達の二つを同時に作動させて相互にコミュニケーションが行われていることを丹念に描いているからだ。この、二つの文脈を同時に使ったコミュニケーションはトトの母親とアルフレードの間で交わされる。
夜、映画の最終回が終了する。シネマパラダイスから人々が出てくる。その中にトトも。すると広場の銅像の前でトトの母親が待っている。それを見つけたトトは「ヤバイ」という表情をしながら母親の元へ。母親はトトを叱責する。
母「買ってこいと言っておいた牛乳の代金はどうしたの」
トト「取られた」
母「映画でしょ(つまり「映画代に使ったんでしょ」という意味)
トト「うん」
ここで母親は怒りにかまけてトトを打ちはじめる。そのとき、シネマパラダイスから引き上げる途中のアルフレードと映画館の会場整理係が、二人の尋常ならぬ状況に気づき近づいていく。
母「この子は、映画、映画、映画ばっかり」とヒステリックにトトを打ち続ける。
アルフレードはこれをいったん静止し、なぜトトが打たれているのかすら聞くこともなくトトの母親に「映画はタダで見せてやった。お金は落としたんだ」と話す。そして突然、トトにアルフレードは「いくらだったんだ」と問いただす。
トト「50リラ」
するとアルフレードは相棒の会場係に問い合わせる。
アルフレード「今日の落とし物は?」
会場係「クシ……、靴底……」
じれながら、アルフレードは加える。
アルフレード「それと50リラ」
アルフレードは右ポケットから50リラをとりだすとトトの母親の前に差し出した。
アルフレード「ほらね」
母は「ありがとう」と言うと50リラを受け取り、機嫌を直し、トトの手を引いて広場から去っていく。
この一連の、田舎芝居は何を意味しているのか。なんでこんなミエミエのアルフレードの田舎芝居に、トトの母親はまんまと引っかかってしまうのか?
実は、母親はひっかっかてなんかいない。彼女もこの田舎芝居に乗ったのだ、というかならざるを得ない状況があったのである。ではこのエピソード。どう理解すればよいのか。(続く)
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