「広場」は共同体の存在と崩壊を象徴する (2)


トトと母親を媒介として広場のエピソード

夜の広場のシーン二つめは、トトと母親にまつわるシーンだ。ここのエピソードは実に手が込んでいる。それは、共同体の中では、「ことば」による情報伝達と、「黙契」=身体による情報伝達の二つを同時に作動させて相互にコミュニケーションが行われていることを丹念に描いているからだ。

この、二つの文脈を同時に使ったコミュニケーションはトトの母親とアルフレードの間で交わされる。

エピソードの展開

まずは、ともかくエピソードを確認しておこう。

夜、映画の最終回が終了する。シネマパラダイスから人々が出てくる。その中にトトも。すると広場の銅像の前でトトの母親が待っている。それを見つけたトトは「ヤバイ」という表情をしながら母親の元へ。母親はトトを叱責する。

母「買ってこいと言っておいた牛乳の代金はどうしたの」

トト「取られた」

母「映画でしょ(つまり「映画代に使ったんでしょ」という意味)

トト「うん」

ここで母親は怒りにかまけてトトを打ちはじめる。そのとき、シネマパラダイスから引き上げる途中のアルフレードと映画館の会場整理係が、二人の尋常ならぬ状況に気づき近づいていく。

母「この子は、映画、映画、映画ばっかり」とヒステリックにトトを打ち続ける。

アルフレードはこれをいったん静止し、なぜトトが打たれているのかすら聞くこともなくトトの母親に「映画はタダで見せてやった。お金は落としたんだ」と話す。そして突然、トトにアルフレードは「いくらだったんだ」と問いただす。

トト「50リラ」

するとアルフレードは相棒の会場係に問い合わせる。

アルフレード「今日の落とし物は?」

会場係「クシ……、靴底……」

じれながら、アルフレードは加える。

アルフレード「それと50リラ」

アルフレードは右ポケットから50リラをとりだすとトトの母親の前に差し出した。

アルフレード「ほらね」

母は「ありがとう」と言うと50リラを受け取り、機嫌を直し、トトの手を引いて広場から去っていく。


この一連の、田舎芝居は何を意味しているのか。なんでこんなミエミエのアルフレードの田舎芝居に、トトの母親はまんまと引っかかってしまうのか?

実は、母親はひっかっかてなんかいない。彼女もこの田舎芝居に乗ったのだ、というかならざるを得ない状況があったのである。ではこのエピソード。どう理解すればよいのか。(続く)