コミュニケーションのメディアとなるテレビ情報

テレビとインターネット。そのメディア接触度、そして行動に対する影響力はテレビが圧倒的に強いことを説明し続けているが、続ける。

コミュニケーションの契機となる情報の側面でもネットよりもテレビの方が遙かに利用されている。われわれが情報補入手するのは、その情報を何らかの有用な手段として用いるためと言うよりも、日常生活のコミュニケーションのネタ、つまり日常のとりとめのないおしゃべりのメディアとして利用することがほとんどだ。そんなときに、そのネタのアクセス先として、まず向かうのがテレビである。つまりテレビニュースの話、昨日のSMAP&SMAPでのキムタクのダジャレの話、ワイドショーネタ、こんなものがまずわれわれの話題の焦点になる。これらの情報を入手する目的は情報交換のためではなく、コミュニケーションの場を形成しようとする動機からだ。こうなるのは、インターネットに比べて非常に多くのオーディエンスが視聴しているので、コミュニケーションのネタとして重宝するためである。ようするに、テレビのネタ、とりわけニュースのことでも話題にしておけば、とりあえずその場のコミュニケーションはなんとかなる、場は持つというわけだ。しかし、ネット情報だと、こうはいかない。「2ちゃんの○○のスレのことだけどさあ」なんていわれても、よっぽどのオタク同士でなければ、そのネタはコミュニケーションメディアとしては成立しない。こちらでもテレビの力は圧倒的だ。

テレビが取り上げないネット上の事件は事件ではない

そして、決定的なのが多くの人がどういったものを事件や出来事として取り上げ、認知するかである。これも結局、テレビネタだけなのだ。ウエッブ2.0的なモノの謂いであるならば”戦前だったらラジオ60年代以降ならテレビだったかもしれないが、これら「オールドメディア」で人々はもはやこれは取り上げられないけいこうにあるし、実際インターネットから発信され大衆が認知した事件もある”と反論したくもなるが、これらは最終的にテレビが取り上げたがゆえに人口に膾炙したにすぎない。たとえば田代まさしまつり、吉野家祭り、マトリックスオフ、折り鶴オフ……こういったものをネットに接続していない人が果たしてどれだけ知っているのだろうか。おそらく知らないだろう。ところがネット上でも電車男、嫌韓、嫌中国、のまネコ騒動とかになれば、結構知っている人間が登場する。なぜか?これらはネット上で騒がれた後、それをテレビが取り上げたからだ。つまりテレビが取り上げなければネット上の出来事などは限りなくなきに等しいのだ(それが前記した田代まさしまつりなどだ)。加えておけばその逆はなしである。つまりネットが取り上げなかったとしても、テレビが取り上げればそれは事件なのである(まあ、テレビネタは間違いなくインターネットネタになるゆえ、そうっいたこともほとんどないだろうが)。

テレビの強力さをまざまざと感じた個人的体験を一つあげよう。僕はメディア論を専攻する大学教員という職業柄、マスメディアにちょくちょく顔を出す。出版物、雑誌、新聞、ラジオ、テレビ、そしてインターネット。新聞では隔月で連載、ラジオは週一でコーナー担当(ただし宮崎だけ)、テレビは各週でニュースのレギュラーコメンテーター、ネットではカオサンというタイ・バンコクにあるバックパッカー向け安宿街のサイト「カオサンからアジア」とこのブログ「勝手にメディア社会論」の二つを運営している。ちなみに前者はGoogleの検索窓に「カオサン」と入力するとトップに表示される「人気」サイト。二位のタイ・バンコク・カオサン通りの歩き方もこのサイトのミラーサイトである。

さて、これらのうちで、自分が最も知られているのはどのメディアでの自分かというと、圧倒的にテレビなのだ。新聞は社会時評をそれなりのスペースで連載しているが、ほとんどリアクションはなし。ラジオなんて聞いている人間いるんだろうかというくらい知られていない(中学校の放送部のスタジオで給食時間の番組をオンエアーしている感覚だ)、雑誌も同様。全国誌であったとしてもどうということはない。唯一、文献が力を持っていてgoogleに掲示されているが、これもネット上の販売サイトが次々と出る程度。まあ、どだい対したことのない端くれのメディア人間なので仕方がないといえば仕方がないのだが。ただし、テレビは全く別なのだ。例えば十年も前に出演したテレビ番組(これはテレビ大阪だった)のことを突然、見知らぬ人間に指摘されたり、最近ではローカル放送に出演しているため、突然、見知らぬ人に挨拶されたり、親しげに話しかけられたり。初見の人との面談も、向こうは既に態度が違う。そう、テレビというのは実に多くの人間がみている強力なメディアといえるのだ。とりわけ、それはローカルエリアで強く言えることかもしれないが。

というわけで、テレビの力は相変わらず強い。いや、むしろ以前よりある意味強くなっているところもある野ではないか。(続く)