牧歌的な安宿街環境が払拭されていく

タイ・バンコクの安宿街カオサン地区の変容は着実に進んでいる。街は次第に大きな商業ビルが林立しはじめた。

こういった起業家たちによるカオサン内う施設の巨大化、システム化は、一方でカオサンがかつて持っていたものを消滅させる。一つは「不潔と猥雑さ」だ。小汚い印象、ドラッグなどのダークなイメージ、貧乏安宿街の何事もサバーイサバーイのいい加減さ、こういったものはすべて払拭されていくのだ。一面がクリーンな環境に転じていく。

それは歓楽街としては健全な方向に転じているわけで、それ自体は良い方向といえるのかもしれない。しかし、バックパッカーにとってこういった環境はどうであろうか。

バックパッキングのビギナーにとってはこれは快適な環境だろう。汚くないし、食べ物も自分たちの文化にあったものにカンタンにアクセスできる。なんならコンビニで買い食いしたっていいのだから。

しかし、バックパッキングの楽しみを「現地へ行って、パックツアーでは得られないさまざまな経験をすること」としたら?こう定義した瞬間、カオサンはそんな楽しみなどないビジネス的な空間のイメージが前面に現れてくるのではなかろうか。かつて、このエリアのゲストハウスは民家改造型、つまりフツーの家が、サイドビジネスとか国際親善みたいな気分で自分の部屋の開いているスペースを改造して、お金のないチープな旅行者たちを収容するというものだった。そこでは、ゲストハウスを運営する家族と宿泊客との、そして宿泊客同士のフレンドリーな関わりが展開され(だいたい、ビンボー旅行者から大金をせしめることなんか出来るわけないわけで、当時の経営者たちは本当にインターナショナル・フレンドシップでやっていたノリだったらしい)、そういった親密な関係が旅行者、そしてゲストハウス経営者双方にとってのヒューマンな財産となっていた(もちろんドラッグなどのダークな面でも、もう一つの「ヒューマン」な財産となってもいたのだが)。

しかし、現在起業家たちが進めるシステム化と大型化を旨とするこれら施設内ではプライベートが重視され、そこに見知らぬ者同士が関わり合うようなシチュエーションはほとんど設けられていない。つまり旅行者=バックパッカーが集う空間とは必ずしもいえないのである(もちろん、かつての面影が完全に消え去ったわけではないが)。 

そう、かつての牧歌的な安宿街という環境はここから完全に駆逐されようとしているのだ。今、安宿街といえばカオサンだと聞かされて、やってくる若者が実際のカオサンを観て、「安宿街というのはこういうものなのか」と思ったとしたら、これはもはや大間違いということになる。もうカオサン(とりわけカオサン通り)は安宿街ではないのだから。

バックパッカーのニーズに応えるかたちで拡大していったカオサン。しかし、今やカオサンはファラン=バックパッカーのものではなくタイの若者のもの、消費文化を彩る空間になろうとしている。