丹下健三の平和主義

広島平和記念公園一帯には、実はこのような仕組みを巧妙に組み込んだ見事な施設、というか環境が存在する。それは公園一帯を設計した丹下健三の思想だ。広島平和記念公園はなぜか三角州の形に対して少々斜めを向き、しかも三角州の少々東側を中心とした形で設計されている。このからくりは正面玄関(つまり記念資料館本館)から見据えるとその理由がわかる。非常に印象的な風景が目に入るのだ。平和記念資料館は一階の部分が柱だけで、上階の部分が資料館になっているのだが、正面からこの柱だけの1階部分から建物越し、真ん中のその一番先に原爆ドームが見えるのだ。しかも正面玄関と原爆ドームの中間地点に慰霊碑があり、原爆資料館、慰霊碑、原爆ドームの三つが一直線でつながっている。そう、この公園はすべての中心が原爆ドームに向かうように出来ているのである。しかも、丹下はその原爆ドームを悲惨なものとして演出すると言うことを拒否した。こういった、建物越しにドームが見えるような構成にすることで、極めて美しい構築物=シンボルとして原爆ドームを演出したのだ。原爆で焼け落ちた神聖な場所。もしこれを手がけたのが平和記念資料館の資料展示をプロデュースしたスタッフだったら、やっぱりおどろおどろしい悲惨なものにみえるような演出にしたのではないだろうか。しかし丹下は違った。丹下は原爆ドームとそれが受けた受難のすべてを昇華するような、美に変えてえてみせるという離れ業をやって見せたのである。(ちなみに、これでさえ岡本太郎は「平和主義の押しつけ」と批判しているのだが。僕は、必ずしもそうは思わない。ここの印象は、先ず美しい公園である。キャプションがなければ原爆の悲惨さはわかりづらい構成だ)

アート化することで、原爆は永遠となる

原爆ドームは単なる悲惨な記憶ではなく、アートとして演出することで、丹下はわれわれが後世においても代々と語り継がれていく空間を構築することに成功している。つまり、まず「美しい」と感じ、次に、付随的にそれが原爆によって作られたものだと認識する。こういったアレンジを施さなかったら、時代が経つにつれ、ひょっとしたら原爆の記憶それ自体は風化してしまうのではなかろうか。しかし、遺物を美へと昇華させることによって、原爆ドームは永遠を獲得する。そして百年後、二百年後の人が、その美しい原爆ドームとそれを取り囲む環境に魅せられ、想像力を働かせる。これこそ、戦争を徹底的に相対化した状態=言い換えればメタ平和主義、普遍的平和主義といえるのではないだろうか。ある意味、父母を原爆で亡くした丹下の戦争に対する冷静な、それでいて強烈な問題意識が、ここにはある。

さて、こうやって考えてみると、丹下の仕事は原爆を風化させない、ちょっと不謹慎な言い方になるが、本ブログの文脈からすれば「原爆祭り」(折り鶴オフではありません)を持続させるための手段を提示していることになる。つまり、常に原爆に解釈を加えさせるような仕組みを用意し、その都度、時代の人々がイメージを働かせ、原爆に何らかの思いを馳せていくという図式がここにはある。ここでライブや様々なパフォーマンスなんかをやってイベント会場にし、この場を盛り上げ続けるなんていうのはいいかもしれない(ここをコミュニティスペースにすることは丹下がそもそも考えていたことでもあった)。それは「原爆」に対する、良い意味での日常化ということになる。僕はそんなふうに考える。(終わり)