新しい映画の評価基準1=「情報圧=情報密度」

ポストモダン的、データベース的、キャラクター小説的なポストモダンな映画、パイレーツ3。モダンな視点からは×。だが、これはポストモダンな映画なのでポストモダンの視点から評価しなければならない。そう、こういった映画の評価のためには、もはや別の立ち位置が必要なのだ。そこで以下、ポストモダン的な映画、つまりデータベース消費とキャラクター小説の要素を含む作品をいくつかチョイスし、それらとの比較でパイレーツの評価をあらためてやってみよう。

これらの要素すべてを含むもので、メジャーな作品としてパイレーツ、スターウォーズ、そしてマトリックスを取り上げ、比較してみる。いずれもシリーズ化していて(それぞれ三部作、六部作、三部作)、情報がどんどん増えていき、謎も増える(というか勝手に出来る)という仕組みになっている。

比較に当たっての評価基準はなんだろう。さしあたり、ここで思いつくのは「情報圧=情報密度」と「ポスト世界観」、そして「趣向」(大塚英志)だろう。前者一つは評価のための必要条件、後者二つは十分条件という位置づけになる。

「情報圧」とは、とにかく映画の中に情報の情報量、つまりオーディエンスが取り出すことが可能となる情報の量のことで、これが多ければ多いほど、好き勝手にデータを収集して小さな物語を作ることが出来るゆえ、「情報圧が高い」よい作品となる。この基準から評価すればスターウォーズ>マトリックス>パイレーツということになろうか。

スターウォーズは要するに六作もあるので情報が滅茶苦茶多く、しかも長い歴史(30年間)で培われたこともあって、必然的に圧倒的な情報圧の高さを誇ることになる。これに関しては、異論はないだろう。残りの二つはマ>パイとしたが、まあ表面的な情報自体はあまり差はない。ただし、マトリックスの場合、それらここの情報にさらに謎(コノテーション的=神話的要素)が付随していて、つまり「謎の奥に、もう一つ謎がある」という設定がある。要するに情報を組み合わせると、一段深い意味が現れる、あるいは現れるのではないかと思わせる。この面ではパイレーツよりは深度という点で情報密度が濃いといえるだろう。パイレーツの場合、この奥の、裏の情報はほとんど無い。ようするに三部作をよく見て紐解けば終わり、といった程度の深度の浅い情報量なのだ。表層的という意味では、徹底したエンターテインメントに徹し、なおかつファミリーエンターテインメントに徹しているディズニーという企業の体質をきっちりと背負っているのだ。(続く)