コンテンツ入手の易化

メディアの発達とともにコンテンツは一回性(一度観たら終わり)のものではなくなると、オーディエンスが細分化して手を加えるということをやり始めた。そしてメディアの低廉化は、さらにこれに拍車をかける。かつて、80年代初頭、映画のビデオは一本一万円以上していた。それがどんどんと値段が下がり、一本3000円もしないような価格で、ロードショー終了間もない作品が販売される。しかも、販売ルートは専門店ばかりでなく、その辺のコンビニも加わるようになった。

そして、これらテクノロジーの普及と販売ルートの確立は映画視聴のあり方を根本的に変容させていくようになる。オーディエンスにとって映画は映画館で観て終わりなのではなく、その後、テレビ放映を観、ビデオを購入・レンタルして視聴するようになる。つまり何度でも観るというのが一般的になったのだ。

これによって映画の作り方は、必ずしも映画館で観て理解できなくてもいい、というものになる。映画館では映像による強烈なイメージさえ与えておけば、中身は難解でもオーディエンスは我慢できる。なぜなら、とにかくこのスペクタクルを楽しんでしまい、後ほどビデオで細かくチェックすればいいと、最初から認識しているからだ。ストーリーや構成がよくわからないで映画を見終える→ビデオでチェックする。楽しければ何度でもチェックするというわけだ。

これは、制作側にとってもきわめて都合がよい視聴スタイルの誕生だった。第二作、第三作と続編を次々と作ることが出来るからだ。そして続編を見る際にはオーディエンスの側はビデオでしっかり前作を学習している。ということは新作を映画館で観ることは、その仕込んだ学習内容を踏まえて、新作が提示する謎解きをやることになるのだ。しかし、作る方もそのままではない。これにまた複雑な要素を入れてくる。これによって前作の謎が解決するだけでなく、新しい謎が提示される、あるいは解決するはずの謎が、さらに謎を呼ぶ展開となる。そこで、またわからない。で、ビデオが出るのを待って早速購入。また謎解きに明け暮れる。あるいは、好みのキャラクターの新しい演技=展開を堪能する。これが繰り返されることになるのである。要するに制作側にとって、以前は映画の興行のみが収入源であったのが、これにテレビやビデオ、さらにはノベライズ、キャラクターグッズの販売とメディアをミックスして多方面から収入を得、さらに続編を作ることでこのパターンを繰り返すことが可能になったのだ。

気がつくと、繰り返し視聴していた

こうなると、キャラクターや謎解きという映画のパーツを楽しみにしているお客にとって、ストーリーはもはやこういった消費のための道具に成り下がる。観客はとにかく、さんざん学習した様々な知識の「復習」を新作の中で行っていることになるのだ。

パイレーツ3はまさにそういった作品だった。とにかく謎解き満載。こちらとしては勉強していったつもりでもやはりすべては消化できない。ちなみに今回はなんと言うことか、入場前にその謎解き項目について一覧されているリーフレットが配られた。二つ折りになっていて、中身はシールで貼り付けてあってはがさないと除くことが出来ない。表側には「○○はどうなった」と謎が個条書きで書かれている。そして、「中身は映画を見終えるまで開くな」とある。そう、その中身にはネタバレになる内容が満載で、しかも細かな謎解きの答えが書いてある。ただし、答えはそれぞれについて半分くらいの解説で終わっている。つまり、これは「みなさん、まあ前作二つで勉強してきたとは思いますが、本3作目を見終えても、全部はわからなかったでしょう。そこで、そのお答を多少お教えしますので、全部知りたければもう一回見に来てくださいね」というメッセージなのだ。

見落としたところがいくつもある観客は、この説明を見て悔しがる。で、前作二つをもう一度チェックし(前作二つと3作目のつながりについてのヒントも掲載されていた)、内容を確認するとともに、前作の中に新たな発見をする。そして当然のことながら、ロードショーへもう一度足を運ぶと言うことになるのである。そういえば、気がつかないうちに、自分もロードショーの最中に同じ映画を二度見に行くというようなことを最近やるようになっていることに気がついた。自分も見事にポストモダン的、オタク消費的な映画の味方をし始めていたのである。(続く)