ポストモダン映画としては高評価

パイレーツ3はストーリーがごちゃごちゃしてダメな映画。でも満足する。なぜ、こんな心理状態になるのだろうか。それはこの映画が「モダニズム的視点から見たら失敗作。だがポストモダニズム的視点からすれば、結構、成熟した作品」だからだ。

モダニズム的視点とは、前回述べたようなストーリー性を重視し、一貫した内容によって話を完結させるような視点から作品を評価すると言うこと。このレベルでは全くダメなのだ。つまり、きちんとした、それでいて斬新なストーリーの上を、キャラクターが縦横無尽に個性を発揮することで、ストーリーがいっそう輝きをもつとともに、キャラクターの個性の奥行きの深さも感じさせる。こんなことを期待したらこの作品は、まるきり×である。ストーリーは前述したとおりつじつま合わせが第一の仕事となっているお陰で、ギクシャク、ガタガタしている。僕が前回まで「ダメ映画」と評したのは、こういったモダニズムの視点からの評価なのだ。

一方ポストモダニズム的視点とは、こういった意味の一貫性、一元性よりも、情報圧・情報の密度を重視するような視点から作品を評価すると言うこと。とにかく、オーディエンスが多方面からアクセスできるような情報が満載されていて、それとなくストーリーが展開されているようなデータベース的な映画という視点。このレベルではスターウォーズに比肩しうるほどの出来に到達している(ちょっとホメ過ぎか?)。たくさんの謎解きがあって、たくさんのキャラクターがいて、オーディエンスは、自由にそれら断片断片に肩入れできるとともに、勝手に作品に思いを描くことが出来る。こちら楽しみ方の評価からすれば○なのだ。実際、前作とのつながりを紐解かなければならないシーンや道具はふんだんに盛り込んである。で、この作品は、こういった視点からの鑑賞がもはやオーディエンスの中心。ということは、お客のニーズにしっかり応えた、そういった意味では完成度の高い作品なのだ。

メディア・インフラストラクチャーの整備~テクノロジーの普及

さて、われわれが置かれているメディア環境を考えてみよう。かつて、たとえば明治時代であったならば情報を入手するメディアは限られていた。電子メディアなど存在することはなく、マスメディア的な情報といえば新聞とか雑誌などの出版物程度だった。それがラジオの出現、テレビの出現などによって次第に情報入手チャンネルが増加していく。しかしそれでもこれらはいわば一回性のメディア。つまり、一度観たら二度と見られること無いメディアだった。

ところが七十年代にはラジカセが、八十年代にはビデオデッキが普及することで、こういった放送されれば消えてしまう情報は録音、録画によって保存可能なものとなる。さらにレンタルビデオ店の出現はこういった状況に拍車をかける。つまり、保存可能になることで、いつでも視聴したいときに視聴が可能になると同時に、繰り返し観ることが可能になる。

そしてオーディオも映像もデジタル化していった90年代末以降、今度は単に繰り返し視聴するだけではなく、音をサンプリングして自由に変形させたり、映像の一部を繰り返し視聴したり、静止させてみることで、映像の構造を微細にチェックすることが可能となった。

こうなると映像も音響も単なるデータとして分解され、それを自由に加工したり解釈したりすることが可能になる。パイレーツであるならば、ジョニーディップ・ファンは彼の出演するシーンだけを繰り返し観たり、そこだけを編集、つまりマッシュアップして楽しむことが可能になったのである。作品は統合されたものではなく、部分部分を切り取って楽しむようなやり方が一般的になってきた(これは何も実際に加工するという行為を行うことを意味しているのではない。こういった手軽な操作が可能となることで、いわば頭の中で映画の中の任意の部分(たいていは自分のお気に入りのシーン)を編集して楽しむことが出来るようになったのだ)。こういうかたちの、作品全体ではなく、一部に熱を入れあげることは、言うまでもなく「萌え」ということばで表現することが出来るだろう。(続く)