接客サービスこそ、すべて

プーケット・パトンビーチ南のメルリン・ビーチリゾートを例にホテルはどうあるべきかについて考えてきた。前回までその必要条件としてマネージメントがきちんとしていることを指摘しておいた。それでは十分条件とは何か?

ホテルでいちばんビジョンが必要とされるもの。それはスタッフによるサービスだ。これがこのリゾートは「なんだかなあ~?」なのである。ここのスタッフのサービスは、すべからく「受け身」。こちら側から何かを言い出さなければなにもしてくれない。言い出せばやってくれるが、それはマニュアルの範囲内なのだ。つまり、自分で考えたりするような行間を読むサービスは全くと言っていいほど出来ない。僕が要求しているのは、向こう側が積極的に働きかけてくれる「こてこて」のサービスではない。いいかえれば「温泉女将の心づくしのおもてなし」を期待しているわけでは全くない。サービスの基本はこちら側が言い出すまで待っているでかまわないと思う。ただし、はじめから「痒いところに手が届く」ような配慮がホテルのあるべきサービスだと考える。そのためにはスタッフは自分の役割を理解するだけでなく、自分がホテルというシステムの中でどのような位置にあり、適材適所でどのような形で動くべきかについての洞察を持つ必要があるのだ。いうならば、客の先手を打っておくような配慮である。マクロな眼とミクロな眼の二つが必要なのだ。残念ながらこれがない。こういったものは施設云々ではなく教育の問題だろう。

ちなみに、僕がチェックインしたときにエアコンが壊れていたために部屋を変更したことを前回書いておいたが、この時の対応もビジョンが全く感じられなかった。先ずエアコンがおかしいことをレセプションに報告すると修理がやってきた。そしてしばらく調整していた(その間三十分待たされる)が、どうにもならない。そこで部屋の変更と言うことになった。僕はバッグをすでに開けてしまっていたので、またこれをしまうという作業をさせられるハメに。ところが連れて行かれた部屋は建物角の暗い部屋。しかも隣のベランダが丸見え。「う~ん、これは、ねえ~」。僕が考え込んでしまったのは、部屋が悪いと言うことではない。そちら側のミスでエアコンが壊れていて、客に苦労をかけて異動させなければならないという状況を踏まえた対応ではないということなのだ。こういう場合、1.客はすでに最初の部屋のグレードを確認してしまっている、2.そちらの都合で客に迷惑をかけた、という二つの心理的付加を客にかけてしまったのだから、こんな「ガキの使い」的な対応では客は不満になるのがあたりまえだ。ちなみに到着したのが午後九時半。僕は晩飯を食べていなかったので、外に出て行きたかったのだが、こんなトラブルのためにそれが出来ず、やっと終わった頃になってレストランに行くとすでにラストオーダーだった。そして日本人スタッフが事情を話しても全く受け付けてはくれなかった。仕方なく、ルームサービスを頼むという羽目になってしまったのだが。う~ん、これじゃ、だめだねえ。

スターウッド(ウエスティン、シェラトン、セントレジス、Wなどのホテルを抱える企業)という世界最大のホテルチェーンに勤め、ニューヨークのエセックスハウスやウエスティンのフロントのマネージメントを任された僕の友人は、こういう時には1.同等の部屋を用意する、2.アップグレードする、のどちらかで対応するというのが常識という。ホテルは生き物であり、顧客はその生き物にとっての重要な食料源。だから、こういうミスがあったときには印象の悪さをぬぐうどころか、ここぞこてこてのサービス、つまり普段の倍のサービスでもてなし「対応がいい」と評判を取ってしまうこと。つまりマイナスをむしろプラスに転じさせるような発想こそが大事だという。それがホテルというものを成長させ、生きながらえさせるためのビジョンなのだと。

もちろん、今回対応してくれたスタッフ(日本人だった)がふざけていたというのではない。彼女は一生懸命やってくれていた。しかし、それは「ガキの使い」レベルなのだ。そう、このホテルがもうワンランクレベルを上げるためには、ホテルのビジョンを掲げ、それをスタッフたちに浸透させる必要があるのである。

ホテルは何をするのか、誰を相手にするのか、どう対応するのかということについて試行錯誤を重ね、それを施設とスタッフに換言していく。それが蓄積されることでホテルは文化と歴史と伝統を備えることが出来るようになる。メルリンビーチリゾート、道はまだまだ遠そうである。