オタクを生んだのは日本万国博だ!

今から37年前の1970年3月から9月にかけての六ヶ月間、大阪千里が丘で登録博(博覧会国際事務局が自ら登録しているもの。19世にパリ(エッフェル塔)やロンドン(水晶宮=クリスタルパレス)で開かれたものと同系列)としては初めて、そして唯一の博覧会がひらかれました。(この後、いろんな博覧会が国内続くが、これは事務局が認めた認定博と呼ばれるもので、完全に正規のものではない)

今日は、この大阪万国博と「おたくの誕生」というのを無理矢理つなげてみたいと思います。「えっ?二つになんの関係があるの?」とお思いかも知れませんが、そこが目のつけどころ。実は「おたく」を生んだのは万博だったのです(ホントかな?)


大阪万国博の熱狂

大阪万国博のテーマは「人類の進歩と調和」でした。広大な敷地を舞台に外国館、企業館77のパビリオンが競うようにならび、今では想像もつかないような巨大な博覧会だったんです。外国館で人気はアメリカ館。なんといっても月の石とアポロの司令船と月着陸船が売り物でした。それから企業館で人気だったのは三菱未来館と日立グループ館。三菱未来館は現在の薄型テレビ(ただしかなり見えませんでした)や、空間上に映像を映すシステム、ジオラマなんかが売り物。一方、日立グループ館の方は本格的なフライトシミュレーター。お客さんが飛行機のシミュレーターを操作できるというもの(MSフライトシミュレーターのレベルをグッとおとしたもの。人の操作に合わせてミニチュアの上をカメラが移動する。しかも会場にある16基のうち一つしか操作できない)。会場の中には電気自動車が走り、動く歩道が現れ、売店には本格的ジュースの自動販売機が登場。まあ、今考えれば結構チープなものもあったのですが、当時の人たちはこれに夢を見たんですね。だって,巷にそんなものはなかったんだから。

その熱狂たるや半端でなく、半年間の入場者は6400万人と、日本の人口の半分ものひとがここをおとずれたのです。ちなみにこの数のすごさはディズニーリゾート(ランド+シー)の入場者数と比較するとよくわかります。ディズニーリゾートの年間入場者数は2400万人強。半年にすれば1200万人ですから、およそ五倍の入賞者があったというわけです。

実際、日本人全員と言っていいほど多くの日本人がこれに熱狂しました。僕は当時十歳だったんですが70年と言えば、アタマが年中、大阪万博という感じでしたね。万博のメイン会場、お祭り広場では毎日国単位などでイベントが組まれ、これをNHKがテレビで生中継していました。ちなみに、これ以降におこなわれた博覧会はここまで盛り上がることはありませんでした。失敗したのも結構あります。有名なのは75年に開催された沖縄海洋博ですね(メイン会場のアクアポリスは鉄くずとして海外に売り飛ばされた)。なぜなんでしょう?

=== 大阪万博は高度経済成長のご褒美? ===
理由は、これが高度経済成長によって日本が立派になったことの証のように見えたからです。高度経済成長とは1950年代後半から1970年くらいまでの日本の経済成長全般を指す言葉。この時期、日本はアメリカの支援もあって戦後の荒廃から立ち直り、経済成長率が年率10%を越すという、未曾有の発展を遂げていました。これは当時の人間にとって「大きな夢」を与えるものでもあったんですね。「みんな一生懸命働こう、そして頑張ろう。そうすれば日本は豊かになるし、みんなの暮らしも豊かになる」といったイメージがこれによって国民全体に定着する。

実際、60年代を生きた人間からすれば、これは非常にリアリティのある話でした。街の道路が舗装されたり、国道に陸橋がかけられり、新幹線や高速道路が建設されたり、さらに大型団地が出来たり。そして消費生活では3C=カー、クーラー、カラーテレビといったものが家庭に入り込んできます。そうなると「一生懸命働いているから、こんなにリッチ(まあ、まだまだ貧乏なんですが)なっていくんだ」と思えた時代だったんです。

大阪万博は、この高度経済成長の象徴=証明だったのです。そして、その証拠はパビリオンのカテゴリーで見て取ることが出来ます。つまり外国館は世界のいろいろなことを紹介してくれると同時に、私たち日本人が世界へ足を踏み出すところまで来たというイメージをかきたてました。僕はあんなにもたくさんの外国人(コンパニオンですね)に合ったのは生まれて初めてでしたし、これまで食べたことのなかったもの、例えば本当のインドカレーやピザみたいのものをあそこで経験しました(まあ、今じゃ、こんなものありふれているんで、これに驚いていること自体、信じられないというか、マヌケにしか思えませんが)。実際、この万博を背景に外国ブームが起こり、同時に英語ブームなんかも起きています。カセットテープレコーダーで英会話学習(旺文社のカセットLL)なんてものが売れたりしました。現在、上智大学で小学校への英語導入を大反対している鳥飼久美子さんなんかが、万博関係のテレビに同時通訳として出現し、日本初のバイリンガル・アイドルになったりもしました。

そしてもう一つは先ほどあげた企業館の様々なテクノロジー。さっきも言いましたが、まあ、今考えると相当ジョボいんですけど、こちらのほうは日本の企業文化がここまできた、そして世界に肩を並べるまでになったというのを実感できた。というわけで、人々は自分たちが高度経済成長の中かで「刻苦勉励」してきたことのご褒美としてこの万博を見ていたんではないでしょうか。(続く)