参院選を不安視する自民党

「小泉政権からバトンを渡された安倍内閣の支持率がジリ貧だ。このままだと、参議院選には敗北してしまう可能性がある。対策を練らねば」というわけで自民党からは、参院選に向けた何らかの選挙対策を施す必要があると声が挙がっている。

自民党が前提にしているのは2005年の衆議院議員選挙、いわゆる郵政民営化選挙で獲得した浮動票層を取り込めなくなるという懸念だ。しかしながら、この懸念は勘違いではなかろうか。これは浮動表層がそのまま自民党をいまだに支持しているという思いこみからくる勘違いだ。

もともと自民党はじり貧で確固たる支持基盤などたいしたことはないのだ。つまり前回の衆議院選のあの大量得票は自民党支持でもなんでもないといいたい。
では、300にも及び当選を出したあの無党派層はなんなのか。僕はこれを「お祭り党」と呼びたい。お祭り党は既成の支持政党のように基盤を持たないし、状況によっては選挙にも行かない。でもお祭りを察知する感度が高く、「これがお祭りだ」と察知すると、即座に「お祭り党」を結成して、選挙に甚大な影響を与える。ただし、お祭り党員は選挙運動に加担しているわけでも、徒党を組んでいるわけでも、党員であることを自覚しているわけでもない。われわれの生活空間のあちこちに一人寂しく潜んでいるのだ。

フラッシュモブの大型判?

「お祭り党」ははハワード・ラインゴールドが指摘したフラッシュ・モブの大型版だ。フラッシュ・モブとはウィキペディアでは「インターネット、とくにEメールを介して不特定多数の人間が公共の場に突如集合し、目的を達成すると即座に解散する行為」と定義されている。有名なのは”吉野家祭り”や”マトリックス・オフ”。前者はサイト2ちゃんねるの掲示板で示し合わせた2ちゃんねらーが、指定日に吉野家新宿靖国通り店に押し寄せ、「大盛りネギだくギョク」を注文するというもの。後者は提唱者がマトリックスの主人公ネオと同じ格好をして渋谷の交差点から公衆電話まで指定時間に駆け抜け、その際、参加したい人間はスーツ姿のエージェントになって提唱者を捕まえる」というもの。どちらもその瞬間、見知らぬ匿名の人間が一定の空間(吉野家新宿靖国通り店、渋谷交差点)に現れてパフォーマンスをするというもの。することはそれだけである。

しかしながら、これが異様な風景であることはフラッシュ・モブを見た人間誰もが感じるだろう。言い換えれば、フラッシュモブは、この第三者の感じ取る異様さを楽しんでしまっているのだ。ただし、それを実行しているものは全員見知らぬ匿名である。

ここでフラッシュ・モブとなる連中が求めていることは、この異様な騒ぎに周りがざわめくこと。しかも、自分の素性はわからない(吉野家ならこれやっている隣の席の人間を知らないし、ましていわんやマトリックスモブなら全員サングラスだから顔すらわからない)。つまり、このバカげた遊びによって世間を騒がし、しかもその騒がしたことの当事者でありながら、責任を持たないで住む。つまり、やった本人たちは思わずニンマリし、自分が社会を、ちょっぴりだが動かしたという自己陶酔に浸ることが出来るのだ。

フラッシュモブのホンネは「社会に認められたい」

フラッシュモブはなぜこんなバカらしい行為をしでかすのだろう。その理由は、おそらく自らが情報化社会の一ビットでしかないことを無意識のうちに自覚しているところにある。彼らはメディアが錯綜、消費で消費物が氾濫する中で快適に暮らしているが、その反面、自らの存在根拠はそこにはない。つまり他と交換可能な一ビットな存在でしかない。もちろん一ビットであることは、匿名な存在でもあり、表面的には何者にも行動、思想を規制されない自由な存在だ。いわば「しがらみ」はない。しかしながら、情報化、そして消費社会は、知らない内に、一定の行動パターンを人々に強いるようになる。それは命令形ではなく、知らないうちに、規律訓練的に従わされるものだ。自販機へのコインの投入、ID、パスワードの入力、そしてメディアの流す情報に無抵抗に従う日々。それは自由のようでいて、実に不自由。第一、自分たちはまるで計量的に扱われているだけで、実質的には存在がなきに等しい。そして、そのことを彼らはそこはかとなく実感しているのだ。

そこで、いたずらをしてやろうというわけだ。つまり、システムを少し脅かしてみる。ただし、それによって責任が降りかかり、自らの自由が拘束されてしまっては困る。だからあくまで匿名の内にこれを行動する方法を考えると、その結果がフラッシュモブ的ないたずらとなる。

では、フラッシュモブ的行動に加担することの御利益は何か?それは、そうやって世間に一泡吹かせることで、社会をちょいと動かして見せましたという悦楽に浸ること。自分の、ただし匿名の力をそこに感じることだ。そうすることで、自分の力が社会に影響を与えたことになるわけで、それは結局、自分が社会に認められたこと、言い換えれば、その瞬間だけ社会の一ビットを脱したことになる。しかも匿名ゆえ、この行為に問題があったとしても責任を問われることもない。そしてこれに満足すれば、彼らはまた情報化消費化にあふれたシステム社会の羊=情報化の家畜に戻っていくというわけだ。いうならば、これは情報社会システムの中でのストレス発散方法なのだ。

こういったフラッシュモブ的な現象はいろいろな規模がある。小さいものはブログ炎上、つまり特定のブログを誹謗中傷で潰してしまうという行為がこれに当たるだろう。そして、その大規模なものが「お祭り党」による、各種の、下手すると社会を揺るがしかねない「祭り」なのだ。(後編へ続く)

※関連ブログ フラッシュモブを取り込んだ小泉劇場
2005/10/16
http://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/14158165.html?p=1&pm=c&t=2
2005/10/24
http://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/14896946.html?p=1&pm=c&t=2