お手軽なイベントの使い回し

またショーは定例化されて毎年同じイベントがおこなわれるようにもなった。たとえばクリスマスのイベント。カントリーベアジャンボリーが以前からクリスマスシーズンはクリスマスジャンボリーと銘打って、別のショー(オーディオ・アニマトロニクスの動きは基本的に同じだが、キャラクターがサンタ風の格好をしている)を開催していたが、このパターンがホーンテッド・マンション、イッツ・ア・スモールワールドにも採用される。前者は2005年よりナイトメア・ビフォア・ザ・クリスマスのジャック・スケルントンがアトラクションを乗っ取ったという設定でハロウィーン期間から三ヶ月程度開催、後者はクリスマスシーズンにやはりキャラクターにクリスマス用のコスチュームを身に纏った飾り付けをおこなっている(こちらは2006年開始。おそらくこれも定例化されるだろう)。予算が大がかりになったせいだろうか、パレードやショーについては、毎年同じ催しが繰り返されるものが増えてくる。

デブデブで足腰が弱ったワンマンズ・ドリーム

そんな中、ストーリー性が見事にゲストの心を掴んでいたワンマンズ・ドリームがワンマンズ・ドリーム2・マジック・リブズ・オンという名前で2005年7月に復活する。ワンマンの評価は非常に高く(演出家、宮本亜門も絶賛していた)、復活を待ち望んでいたワンマンズ・マニアにとっては福音に思えた。だが、期待は裏切られる。例によって規模が拡大、出演者の数も増え、賑やかにはなったのだが、内容的にはパレードと同じ傾向を見せるようになる。つまりストーリー性をさしおいてスペクタクルだけが展開される。情報が増えた分、大雑把になり、テーマの統一性(一人の男の夢という)がぼやけ、ストーリーが拡散してしまったのだ。もうここにはミッキーとミニーがモノクロからカラーに早変わりするシーンやピーターパンとウエンデイのフライングするシーンで、思わずドキッとし感動し、涙するようなかつての繊細さは失われてしまっていた。もちろんこの二つのシーン、現在でもあるが、文脈なく突然シーンが登場するので、ストーリーとの関連で感情移入することが出来ないのである。究極のストーリー性を売り物にしたショーは無惨な形で再び上映され続けることになってしまった。(もちろんストーリー性を踏襲した新しい施設もあった。その代表はアトラクション・プーさんのハニーハントだ。そして、こちらはストーリーを強烈に反映しているため、ディズニーランド一の人気アトラクションとなった)

ウォルトのいないディズニーランドの出現

ストーリーの美意識に惚れ込んでいた、モダニズム的なディズニーファンはこの「ていたらく」にうんざり。年パスの購入をやめ、やがてディズニーランド自体へ足を運ばなくなっていく。しかしそれは客層の交代。ポストモダンのデータベース消費的なものとしてディズニーを捉えるゲストがこの後、増加していく。それはデズヲタ(ディズニーオタク)の出現でもあった。

ある日のパレードの時のこと。待ちかまえるお客の中に8歳くらいの女の子がいた。彼女はフロートが来るたび熱狂しながらキャラクターの名前を呼んで声をかけている。そして彼女の、名前による呼びかけは最後まで続いた。つまりこの子はパレードに登場するキャラクターの名前すべてを知っていたのだ。

こうして、ディズニーとゲストの間にあったモダニズムは崩壊する。そして、その後に生まれたのがウォルトの魂なき、ポストモダンのテーマパークの出現だった。この時期、ディズニーランドは見た目はわからないままに内部から、そして外部から質的に大きな変容をみせていたのだ。(続く)